時は流れ、ポカポカとした陽気に包まれて瞼が重たくなるまどろみの中、鬼塚は背筋を伸ばして桜良を見守っている。大きな体に小さなパイプ椅子はひどく頼りない。
「来年の桜は……見られそうにないねぇ」
リクライニングを少しだけ起こしたベッドに体を預ける桜良は病室の窓から覗く桜を眺めていた。
「ダイちゃん。この桜の名前、知っとる?」
「いえ、俺はソメイヨシノくらいしか知らないもんで」
正直に打ち明けると桜良はカラカラと笑って「江戸彼岸桜って言うんよ。覚えときんさい」と言った。
「彼岸……ですか。なんか縁起が悪そうな名前ですね」
「そうやねぇ。彼岸。うん、今のウチにぴったりや」
江戸彼岸桜はソメイヨシノを代表とするほかの桜と違って開花時期が早く、それゆえに散り始めも早い。病室の窓から見えるこの桜もその例に漏れず、既に来年への準備を始めていた。
「散る桜、残る桜も……散る桜。まるでウチみたい」
「そんなこと言わんとってくださいよ、姐さん」
「ええんよ。自分の体のことは自分が一番分かっとる」
「でもそれじゃあ……」
「ウチかて悪いとは思うとるんよ。産むだけ産んで、はいサヨナラじゃ親として無責任じゃけぇね」
ゆっくりとしたまばたきに同調するような口ぶりは鎮静剤の影響でウトウトとしているせいだ。会話をやめてしまえばほんの数秒と保たずに桜良は眠ってしまうだろう。だから彼女はそれを阻止するべく鬼塚に都度話しかけてほしいと頼んだ。もうすぐ旦那の竹虎が来る。それまでは起きていたい、と。
「あの子に……なーんもしてあげられんかったねぇ。おっぱいも出ぇへんし、抱っこも数えるくらいしか……。ウチ、母親失格や」
「そんなことないっすよ」
「ダイちゃん」
「はい?」
「虎ちゃんのこと、しっかり支えたってね。これからはアンタらの時代じゃけぇ」
「なに言ってるんですか。会長のそばには姐さんがいないと」
「そうじゃのうて、頭を使わないけんよってこと」
「でも俺は勉強なんて出来ませんし……」
「じゃけぇ今からでも学びんさいって言うとるんよ。なんや最近、おまわりらの動きがどうもきな臭いんよね。また取り締まりが厳しくなりそうや。シノギのやり方も変わっていくじゃろ」
「俺らのことは心配しないでもっと自分の体を心配してくださいって」
「そうしたいのは山々じゃけど、この体がもう休ませぇ言うとるけぇね……」
愚痴ともつかない愚痴をこぼす桜良は弱々しい笑みを浮かべているが、鬼塚の口角は錆びついたロボットのようにぎこちなく震えるだけだった。
「ヒナが大きくなったら言うてあげてくれる? ウチのわがままで苦労させてごめんね。でも産まれてきてくれてありがとう。ヒナはウチの宝物よって」
「そんなの……自分で言ってください」
「ダイちゃんのいけず。それが出来たら苦労せんわいね」
そう言うと桜良は目をつむった。ほどなくして静かな息遣いが聞こえてくる。眠ったのかと思ったが、突如としてその目が開かれた。
「やっと帰ってきたわ」
直後にドアが開かれ、生まれて間もない赤ん坊・雛菊を抱っこした竹虎が現れる。
「おかえり虎ちゃん。でも遅かったね。どこまで散歩してきたんよ」
眠っている雛菊を受け取った桜良は愛おしそうに頭を撫で、目を細めている。それを眺める竹虎は仏頂面でどことなく不機嫌そうだ。桜良には秘密だが、事情を知っている鬼塚はそれだけで雲行きが怪しくなったことを察した。
次回更新は9月26日(土)、11時の予定です。
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