彼女が立っていた場所には1体の薄汚れた人形が置いてあった。
麻利衣はおもむろに近づいてその人形を取り上げた。
布袋に綿を詰めただけの手作りの不細工な人形で、髪の毛は毛糸で、目はボタンでできていて、とても懐かしい感じがした。
白いワンピースを着せてあるが、胸の部分に布製の名札が縫い付けてあって、へたくそな字で「かわはらさいこ」と書いてあった。
麻利衣の両目から涙が溢れ出した。
「さいこさん、そう、私が名前を付けたんだったね」
唯一の母の形見にそう名付けて、国際超能力研究所でのつらい訓練の時にも「さいこさん、あなたは完全能力者(パーフェクトサイキック)なんだから、頑張って私を助けてね」と言って、心の支えにしていた友達だったことをやっと彼女は思い出した。
「ごめんなさい、賽子さん、どうしてもっと早く思い出せなかったの……」
麻利衣は人形を強く抱きしめて泣いた。
しばらくすると彼女は再び崖の先端に立って、暗い穴を覗き込んだ。
その時、彼女はいつの間にかセーラー服姿になっていた。にゃあと鳴いて、黒猫が心配そうに足にすり寄ってきた。
「クロスケ、今度はあなたは飛び込んじゃだめよ。そこで見守っていてね」
そう言って彼女は静かに目を閉じ、人形を胸にしっかりと掻き抱き、頭から落下していった。
海面はすぐにやってきた。水しぶきが上がった時、海上に浮かんでいた船で誰かが、あっと叫んだ。
竜巻も穴もいつの間にか消え失せていた。
その後は波が岩壁に打ち寄せる静かな音が聞こえてくるだけだった。
崖の上の黒猫は水平線に沈みゆく茜色の夕陽に目を細めた。
「サイコ9――アトラスの失踪」終わり。「サイコ10――古くて新しい人生」に続く。
次回更新は9月3日(木)、21時の予定です。
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