笑顔が教えてくれるもの ―命の重さ再認識―

「私はこの子に教えられました」。

しみじみとM先生が話す。高校の先生だが三十数年の普通高校勤務のあと定年前に養護学校へ来た。

来てすぐにK君のベッド学習(養護学校から病院の病室まで出かけてきて授業をする)の受け持ちになった。

K君は四肢麻痺(まひ)のため生まれてずっと寝たきりでよく肺炎などを起こす。何度も肺炎を起こしたためずっと鼻から気管に管を入れている。

しかし名前を呼ぶとニターッと大きく笑う。声を掛けると調子のいいときは何度も何度も笑う。

片や先生はといえば前任校は普通高校で長いこと荒くれ生徒の生活指導をしていたという。いきなりである。仕事にかなりのギャップがある。

ずいぶん戸惑った。最初は何をどうしていいか全く見当がつかない。

さわっていいものやら、咳(せき)など始まると管から痰(たん)が飛び出すからあわてふためく。

よく笑うと聞いてきた子がなかなか笑ってくれない。どうしたものか。先生もずいぶん考えた。あの手この手、この子がうまく笑ってくれるためにどうしたらいいのか。

万策尽きて先生はとうとう自分の得意の尺八をテープに入れてK君に聴かせた。

案の定、K君は大いに笑ったのである。それから先生は声掛けやスキンシップの合間に詩吟やいろいろなテープを聴かせる。待ってましたとばかりK君が笑う。

院長先生を先頭に午後の病棟回診が始まる。日当たりのいいK君の病室に行くとベッドの傍らでM先生が座ってK君とにこにこして過ごしている。

院長先生が「どうですか」と声を掛ける。

「ええ、今日は快調そのものです」と、もうK君の授業にすっかり慣れた風のM先生が得意そうに言う。

「なあ、Kちゃん」。K君が大きく笑う。取り囲んだわれわれや看護婦も笑う。そのM先生があるとき言ったのが冒頭の言葉である。

「私は荒くれ高校生たちの指導を長年やって来て、ずいぶんと手荒な処分をしたこともあります。この子を見させてもらって私は考えさせられました。今なら一人一人、もっともっと別の指導ができるような気がします」

そういえばわれわれも気持ちがイライラしてとげとげしい気持ちでいるとき、ふと通りすがりにK君に声を掛けて、その笑顔を見てわれに返り、穏やかな気持ちにさせられていたのではなかったか。

か弱い一つの命が、みんなに支えられているはずの命が、その懸命に生きるその笑顔で、私たちに教えてくれる。

生きていることの大切さ、命の優しさを。

 

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