【前回の記事を読む】10年ぶりに再会した同級生は、かつて私がいじめた女だった。有名女優となった私に対して、「あなたは昔……」

12.手を変え品を変え

叶うかもわからない不確かな自分の夢をかなえようとして、なんで安定した稼ぎも、信頼できる友人も、長年付き合ってきた恋人もすべて彼方へ放り投げることができるのか。

短絡的な己の欲望に従った判断で、ライフステージを大きく変える選択をする。人生は断捨離なんかじゃないんだぞと一喝してやりたい。破滅の一途を辿るだけじゃないとも忠告してやりたい。

なんで平然と手放せるんだ。積み上げたものをなんでそんなに簡単に床に放り投げられるのか。意味がわからない。ギャンブラーの誤謬とかそういう話以前に、時間をかけて培ったものを投げ捨てるのはそう簡単じゃないだろう。

合理的じゃない。計算が合わない。感情で動いた結果がそれか。おい。これだから真っ先に感情で動く奴は駄目なんだ。

吟味を熟考を重ねていない人生を揺るがす判断は丁半博打をしているようなもの。その判断が正しい確率は半々。

あんたのその選択は本当に正しかったのか証明してみろよ。文末にQEDという言葉を添えられるか? 添えられないだろ。というかこいつは非合理的な判断にもかかわらず、己の欲求を満たせたという一点だけで自分の判断は英断だったと、どこかほれぼれしている。

自分に酔っている。自分の感情に酔っているくせに、それを「本当の自分を生きた」とか言い訳して成立させようとしている。あんたが本当の自分を生きられたのは単純に周囲の人間が優しかっただけだ。本当の自分を生きることが許容されていただけだ。

そんな恵まれた環境に生まれたくせして「わたしは勇気を出して飛び込んだ」とかナラティブを作り込んでんじゃない。それは勇気じゃなくて余裕だ。安全網がある人間の跳躍だ。地面がない場所で跳べる人間が何人いると思ってる。あんたには一生わからないだろうけども。

そもそも、あんたのその「本当の自分」とやらは最初からそこにあったんじゃなくて、誰かがそれを許してくれたから生まれたんだろうが。誰にも許してもらえないまま死んでいった「本当の自分」の数を知っているか? 知らないだろ。知る必要もなかっただろうから。

無自覚な幸運を勇気と呼び替えて、本でも出して、帯コピーで「感動」とか銘打って、世界に向けて「わたしは本当の自分を生きました」と言い放つその面の厚さ。逆に誉れ高い。

あと結末。なんだあの結末。全部うまくいきすぎだろ。現実ってそういうもんじゃないだろ。そんな全員手をつないで、大団円みたいな結末などくそくらえ。

世界の幸せは質量保存の法則にあるのだ。1人が幸せの絶頂に達せば、誰かにしわ寄せがくる。誰かが割を食う。人生ってそんなに丸く収まらない。感動したら負けと思いながら読んでたのに気づいたら画面がにじんでいる、みたいな読後感を約束するかのような帯コピーを信じてしまった自分が憎い。