【前回の記事を読む】母親から受けた「虐」を、他人にぶつけてきた女性の末路…逃げたかった毒親の影が、自分の中に残ってしまい……

12.手を変え品を変え

図書館の老婦人のことを考えた。

名前も知らない。背が低くて白髪を綺麗に結い上げた静かな人。何も聞かなかった。ただお茶を出してくれた。温かい緑茶を毎回何も言わずに。それだけだった。あれが初めての母性だったと思う。

あの老婦人に本当の親になってもらいたかった。その慈愛が哀れみだろうが偽物だろうが、本物を知らない私には大差ない。本物を知らない人間にとっての偽物は偽物じゃない。

大人になって疎遠になって、思い出の中にいるあの老婦人ではなく、管につながれた老婦人を見たのが最後で、葬式の隅っこで啜り泣いて後悔できたならどれだけよかったか。

後悔とは幸せがあったからこそ生まれる。幸せな記憶があるから終わりを惜しめる。惜しむ記憶を持てなかった人間は惜しむことも知らないまま老いていく。そういうことだ。予定通りだ。

本の男のことも考えた。

通路を作るように積まれた本の隙間に人間が住んでいた、あの部屋。彼と本の話をしていた時間だけアクリルの板が消えていた。設計された私ではなくただ活字に向き合っている私がいた。自分の輪郭があった。好きなものがあって嫌いなものがあって言いたいことがあった。

あのまま甘えて縋って一緒に暮らしていれば今の立場も名誉も稼ぎも得られなかっただろう。でも手に収まる身の程に合った幸せを味わえたのかもしれない。

プラトニックとは正反対の堕落した日々だろうか、それとも平々凡々の日々を送る恋人だろうか。どちらだったとしても今よりはマシだったかもしれない。マシというのは曖昧な言葉だが今夜は曖昧でいい。正確な言葉を選ぶ気力も勇気がない。

一歩踏み出せなくともあの男のそばにいれば、なにか幸せの残り香を、残滓を得られたかもしれない。友人以上恋人未満の日々。その先に待ち受けるのが、男の結婚式の引き出物を1人寂しく食べるような、報われないバウムクーヘンエンドでも何でもよかった。

もちろん亀島のことも考えた。けれども、これ以上考えたくなかった。思考に自分が圧殺されるような気がして。