【前回の記事を読む】晩年、糖尿病を患った藤原道長。次第に痩せていき、視力が衰えていくなかで、満月を見上げた。道長が詠んだ一句は…
12.手を変え品を変え
夜が深い。
部屋の中に私1人がいる。本棚がある。読んだものと読んでいないものが区別なく並んでいる。ソファにさっきまで座っていた跡がある。窓があって、外がある。
窓の外に街がある。深夜の街。車が1台、静かに交差点を曲がる。コンビニの看板が白く光っている。誰かが歩いている。コートを着た背中が遠ざかっていく。あの人は今夜どこへ向かっているんだろう。何を考えているんだろう。
空がある。黒い空に薄い雲がかかっている。月は出ていない。あるいは雲に隠れているのかもしれない。どちらでもいい。月があっても私の欠けたところは塞がらない。道長だって月に救われなかった。そうだろう。
世界はこんなに広くて、私はこの部屋のソファの前に立っている。
1人で。
いや。何を感傷的になっているんだ。
私はフィリアもストルゲーも知らない、いや知ろうともしなかった人間じゃないか。今さら失ったものを数え上げてしめやかに嘆いてみせるなんておこがましいにもほどがある。
生き延びるために情を切り捨てて利害だけで突き進んできた人間が今さらメランコリックになって自己を慰めようとは図々しい。
彼女から投げられた言葉に熱を奪われるような感触を味わったが、それは錯覚だ。まず私には熱がない。平熱がない。ニュートラルな熱がない。奪われる熱がない。岩塚玲子が触れた場所が元から冷えていただけだ。
心の奥底には確かに熱はあるのかもしれない。あるのかもしれないというのが既に怪しいが仮にあるとして。それは幾重にも重ねた仮面によってもう触れることができない。皮膚と同化した仮面を今さら脱ぐことはできない。剥がれない。
本を読む一瞬だけがそれを引っぺがしてくれる可能性があったのかもしれないがもう何もかも遅い。遅すぎる。蛇口が錆びついた後に水が飲みたくなっても知らない。
つまらないのに笑う。慣れた手つきで身振り手振りする。
知識が求められる場面ではスノッブを演じて、頭が足らない相手には道化を演じる。衣装替えのプロだ。早変わりの名人だ。でも着替えすぎて自分の私服がどこにあるかわからなくなった。衣装ばかりが山積みになって、私服だけがない。そもそも私服があったのか。あったのかな。あったと思いたい。
自己反省なんて言葉は脳内から放り捨てた。
現世で目いっぱい良い思いをして地獄で目いっぱい苦しもうと心に据えたのだからそれを全うしてこの世からトンズラこいてやる。