【前回記事を読む】「女の子ひとり抱えられねぇのか」――火事の中、孫を見つけた祖父。しかし老いた体はすでに限界で……

Case:B 元・医者の選択

(なんとか……なるかもしれねぇ)

酸素が薄く、鈍る思考の中で良三は震える腕をどうにか動かした。手にするは命綱とも言える防塵マスク。良三はそれを外して若菜の口元に当てがった。これ以上少しでも煙を吸わないように隙間をなくすべく、すっかり薄くなった己の胸板に大切な孫娘の顔を押し付けることも忘れなかった。これならば顔だけでも火の手から守れるかもしれない。

(千代。一人で死ぬのは寂しいだろ。俺が一緒に逝ってやる。だからせめて若菜だけは……見逃してやってくれ)

千代ならば必ず分かってくれるはずだと信じ、良三は息を止めた。火の手が間近に迫っている。異常な熱さだ。

(小隊長。自分は上手くやれたでしょうか。また、頭を撫でてくれますか。小隊長……)

良三の脳裡には隼の傍らで微笑む小隊長の姿が浮かんでいた。そして盤の対面に座る親友の姿も。

(雄作、一生のお願いだ。若菜を……)

――頼む。

うっすらと口元が動く。かろうじて声に出たその呟きは弾ける火にかき消された。

Case:B 元・医者の選択 結

二〇一九年

朝、一人の少女が憂いの表情で後部座敷に身を預けている。驚くほどノイズが遮断された車は意識してないと目的地の高校へ到着したことすら気付けない。運転手の男がエスコートするようにドアを開けて「着きましたよ、お嬢」と言うと少女は気だるげに「うん……」と返事をした。

「行ってらっしゃいませ」

「ねぇ」

「なんです?」

「いい加減、送迎はやめてほしいんだけど」

「そういうわけにはいきません。おやっさんからの命(めい)ですし、万が一のことがあってからでは遅いので」

このやり取りは一度や二度じゃない。返ってくる答えはゲームのNPCみたいに毎回同じなので少女も半ば諦めている。

正門から正面玄関を通って下駄箱に行くまでの間に生徒たちの視線を嫌というほど感じ、囁き声が情け容赦なく耳に届く。正門を振り返ると運転手の男がまだ頭を下げ続けていた。

ふいに少女は足を止めて空を見上げ、ため息を漏らした。どうしてこんな家に生まれてきてしまったのだろう、と。

「通りまでも来てくれたらいいのに……」