【前回の記事を読む】「あっ!? あの人!」表参道の並木道を歩いていると、ベージュコートの女性が──お節介なのは分かっていたが…
丙午と野良猫記
『ルビーの指環』が流行った一九八一年(昭和五十六年)に私は中学三年生になり、教室が二階になった。
春四月、私は左の窓際の席だった。窓の外には大きな古い桜の木が何十本も植えられていて、四月中旬ぐらいまで咲いていた。
新学期に少し慣れてきた頃、給食も食べて午後の授業を受けている時にふと窓の外を見ると、風に揺れて桜の花びらがハラハラと散っていく姿がとても美しく、この席からだとそれを何日も見る事が出来た。
時には桜吹雪が見られる事もあった。ずっとずっと、桜が散って舞っていくのである。それは見事な光景だった。
私は桜の八分咲きの頃が一番好きだったが、散り際がこんなにも美しいとはこの時まで知らなかった。静かに花びらが舞って、雪のように辺り一面校庭がうすピンク色の花びらに覆われる姿を心ゆくまで見たあの時は、今となっては幸せなひと時だったんだと実感する。
体育祭では、全校生徒でフォークダンスを踊った。一番多感な時に男子生徒と女子生徒が手を添えて、放課後にオクラホマ・ミクサーを校庭や体育館で練習するのである。
担任の先生に練習を伝えられると、全員で「え~~っ、またぁ~~!?」と嫌がった。
三年生の全クラス、制服姿のまま校庭に出て一つの大きな輪を作り待機する。身長の順番で並んでいるから、いつも最初に踊る相手が決まっている。
「またおまえとかよぉ~」
「こっちだって手を繋ぎたくないんだよぉ」と恥ずかしがりながら両手をつないで準備する。
音楽が始まると右手は上で、左手は下に、足のステップは一緒に……。通して三回ぐらい練習をする。隣のクラスのお目当ての男子が近づいてくる。
もしかして、もしかして踊れるかもしれな~い!とドキドキしていたが、結局曲は終わって期待外れに終わり、一度も一緒に踊る事は出来なかった。
(あと一曲流してくれれば踊れたのにぃ~)と心の中で残念がっているその時に、担任の女性の先生が、「さぁ~っ次、踊るよぉ~」と壇上に上がって張り切って『オブラディ・オブラダ』を踊り出す。
その場で全員、先生のあっちふらふら、こっちふらふらを見よう見真似で踊った。
そして春三月、高校受験は無事合格できた。教室の黒板に黄色、白色、ピンク色のチョークで歌詞と絵を描いて、袴姿の担任の先生とクラス全員で『贈る言葉』を歌い、記念撮影をした。
きっと一人一人の心の中は色々な思いや葛藤があったであろう。でもこれからの人生の旅立ちに、勇気と希望と真っ直ぐな心の在り方を、人を通して学んでいくんだと、この歌詞を歌う事で心に刻みつけることが出来た。
先生ありがとうございます。クラスのみんな、本当にありがとう!
人は真心からの言葉にどれだけ励まされ、勇気を与えてもらえるか計り知れない。それが私の人生観である。だから私も人を励ませる言葉を誰かに贈りたい。