【前回の記事を読む】俳優の卵と“そういう関係”になれた。なのにある日、郵便受けに切手のない封筒が…見るとそこには短すぎる文章で…
今宵、巣鴨の劇場で
「日差しのある窓辺に置くと、お花も嬉しそう。お水と太陽の光がお花には必要だから」
幼女のように微笑む妻を見ていると、ここ赤羽(あかは)総合記念病院(そうごうきねんびょういん)分院の院長・赤羽(あかは)猪一郎(いいちろう)が顔を出した。
スミコが突然、原因不明の健忘症に襲われ、町医者から始まってあらゆる大学病院を巡り、最終的に専門医がいるというここ赤羽総合記念病院分院に落ち着いてから、早くも五年の月日が経っていた。
「ご主人にお話ししておきたいことが。いや、とても良い話ですよ。このところ奥さんの具合が急速に改善されて、いろいろと思い出し始めている兆候があるんです」
「本当ですか?」
「ええ。ですから、何か奥さんの記憶に結びつく物や話をご家族でどんどん出してほしいんです。状態が良い時に適切な刺激を与えれば、一気に回復につながることもありますからね」
赤羽院長はにこやかにそう言うと「では」と部屋を出ていった。入れ替わりに入ってきたのは一人の若い女性である。
「お父さん」
「おう、碧(みどり)か。母さんの様子がとてもいいと今、院長先生に伺ったところだよ」
「私も先日、先生から聞いたわ」
「美里(みさと)の入学の準備は進んでいるか?」
「ええ、最初は学校に行くのを不安がってたけれど、先日向こうのおばあちゃんに学習机を買ってもらってからすっかり小学生気分。毎日ランドセルを背負ってはしゃいでいるわ」
「それは良かった」
「お母さん、美里がもうすぐ小学生だなんて知らないのよね。病気が発症した時には美里まだ二歳にもなっていなかったから」
碧が無念そうにつぶやく。子供の成長と照らし合わせると、この家族の五年の歳月が決して短いものではなかったと推察される。