「やっと思い出したの。私は森田(もりた)菫子(すみこ)、いいえ、鮎川(あゆかわ)菫子(すみこ)。そしてお父さん、あなたは征ちゃんなんかじゃない。鮎川翔太だわ」
翔太と碧は驚いて顔を見合わせ、次にもう一度菫子の顔を見る。
「お母さん、どうして急に」
「本当に思い出したのか?」
菫子は大きく頷きながら、
「ええ、ええ、本当に本当よ。何だか今日は朝からいい予感がしたの。雨が上がって虹がかかる夢を昨夜見たから」
「本当に思い出したんだね」
翔太の目から涙が溢れる。眼鏡を外して涙を手の甲で拭うが、その手からさらに涙はこぼれ落ちた。
「翔ちゃんがさっきくれたスミレの花束よ。あれで全部思い出したの。あなたはいつも私にスミレの花を贈ってくれていた。私の名前と同じ菫(すみれ)の花を。それなのに長い間、私は薔薇の花しか見ていなかった。他の女たちからもらった花束から抜き取った薔薇をくれていただけの男しか」
翔太は泣きながら、ようやく自分の元に戻ってきた妻に言う。
「やっと巣鴨の劇場から戻ってきてくれたんだね」
菫子は晴れやかな笑顔を見せた。
「そうよ。もう劇場へは行かないわ。朝起きたらそこにあるのが私の劇場だから」
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