はじめに
二十二歳の時、偶然目にした新聞広告に導かれてバイオリン職人を目指し、文京区にある弦楽器専門店で十年余りの修業後、独立し杉並区西荻窪に自分の工房を開きました。幸いお客様や弟子にも恵まれ、今まで職人として工房を続けることができています。
六十六歳になって心臓の手術を受け、直後に脳梗塞を発症し、障がい者となった時、これまでバイオリンと共に歩んできた年月を、改めて自分の言葉で振り返ってみたい――そう思ったことが、この本を書こうと決めた理由でした。
文章を読みやすくするため、登場人物や会社名は一部仮名にしたり、変更したりしています。
実在の人や団体と重なる部分があっても、それはあくまでわたしの記憶と感じ方に基づいたもので、事実そのものを正確に記録したものではありません。
どうぞ一つの物語としてお読みいただければ幸いです。
第一章 職人としての原点 東京楽器の一年目
東京楽器入社 池袋のアパートから
1980年。夜明け前の池袋。六十部屋もある古びた巨大アパートの一室で、わたしはページをめくっていた。ヘルマン・ヘッセ『荒野の狼』。何度も読み返していた。大学を辞め、先も見えず、心はまさに荒野をさまよう狼のようだった。
――自分はこのまま、浪人生活を続けていいのか?
十八歳で大学を中退し、気がつけば二十二歳。世間で言えば、大学を卒業して社会に出る年齢だった。親の金で生きていることへの後ろめたさが、胸に重くのしかかっていた。
夜通し小説を読みながら、焦りと孤独、そして社会人として生きていかなければならないという決意がゆっくりと心の底から浮かび上がってきた。
午前五時、新聞配達の自転車の音が遠くから聞こえてきた。部屋の外に朝刊が届く音。
なんとなく手に取って広げたその一面。視線が止まったのは、小さな三行広告だった。
「東京楽器 バイオリン職人見習い募集 二十二歳まで」
その瞬間、まるで雷に打たれたような衝撃が走った。今まで感じたことのない胸のざわめき。それまで茨城県つくば市にある動物園の長期アルバイトに行くつもりで準備をしていたのに、その計画など一気に吹き飛んでしまった。そして小学校三年生の時に習っていたバイオリンの記憶が、胸の奥から一気に蘇った。
「これだ」と思った。迷いはなかった。会社は午前九時に始まる。午前八時になるのを待って、すぐに電話をかけた。
「はい。東京楽器です」
少し緊張しながらも、募集広告を見て電話をしたことを伝えると、その声はすぐに答えた。
「じゃあ、これから来られますか?」驚くほどあっさりとした返事だった。
だが、その一言が、わたしの人生を変えるきっかけとなった。
受話器を置いた時、手が少し震えていた。胸の鼓動は早く、身体が少し熱くなっていた。
これはもう偶然なんかじゃない。何かに引っ張られている――そんな気がした。
地下鉄の改札へ足を向ける頃には、すでに心の中でわたしの覚悟は決まっていた。
地下鉄・丸ノ内線の電車を降り、後楽園駅の改札を出た時、まだ胸の鼓動は少し速かった。
駅から歩いて五分ほど。地図を頼りに看板を捜し歩いた。
ふと見上げたビルの壁に「東京楽器」の看板が見つかるまで、二度も三度もその前を通り過ぎてしまっていた。