石油ストーブによって一酸化炭素中毒に陥る事故は今でも後を絶たない。一酸化炭素中毒の怖いところはたとえ意識があっても体が動かなくなってしまうことだ。若菜も例に漏れずぐったりとしている。
(すまんなぁ若菜。じいちゃんが貧乏なばっかりにずっとこんなストーブを使わせちまって……)
だが今さら後悔したところで遅い。反省はあとからだ。戦場で迷っている暇などないのだ。迷って足を止めた者から死ぬ。敵機と交戦する時もそうだった。一瞬の判断の遅れが死を招く。哨戒飛行中の列機が高高度から太陽を背に突っ込んできた米軍機に一瞬にして喰われたことは一度や二度じゃない。
(もうちょっとだけ頑張ってくれ、若菜)
しかしここで問題が発生する。若菜が重くて抱えられないのだ。引きずろうにも時間が掛かり、体力を一気に奪われるだけだった。
(ちくしょう。こんな細っこい女の子ひとり抱えられねぇのか、この老いぼれは……)
まだ千代も助けなくてはならないのにこれでは手の施しようがなく、良三は絶望感に打ちひしがれた。
(くそ、くそっ、クソッタレがぁ……)
若いころならばこれしきの障害など簡単に乗り越えられたが今はそうもいかない。窓から飛び降りようとしてもそもそも若菜を窓の高さまで持ち上げられない。
(大きく……なったなぁ、若菜)
良三は途方に暮れつつ、このような形であったとしても孫の成長を目にして望外の喜びを感じていた。最後に孫を抱っこしたのは何年前だろう。当時は親を失った若菜を育てるのに必死だった。
(若菜……。すまんな、じいちゃんはここまでみたいだ)
迫り来る炎を目の当たりにしながら郷愁の念に駆られた良三は若菜を抱きしめて静かに死を意識した。死の寸前、雨のように降り注ぐ弾幕を目にした小隊長は最期に何を思ったのか。
『ワレ突入ス』と打電し、見事敵艦に命中せしめたのか。それとも奮闘虚しく敵機、あるいは艦砲射撃の前に斃れたのか。終戦間際の特攻は成功率が著しく低下し、十機に一機が命中できれば良いほうであった。それも強靭な輪形陣の中心に位置する正規空母ではなく、苦し紛れに外縁で護衛する小型の駆逐艦に突っ込むのがやっとの話だ。
(小隊長……自分もここまでのようです。任務を果たせず、申し訳ありません)
老体に鞭を打ったことでもはや体は限界だった。この分では千代も既に事切れているだろう。長年連れ添った妻がすぐそばで死んでいることに耐えきれず、良三は涙を流した。
このまま死を待つしかないのか。消防はまだ来ないのか。今ならまだ間に合うかもしれない。早く、早く来てくれと叶わぬ願いをただ繰り返すばかり。そんな良三に一筋の光明が差した。うっすらと、しかし確かにサイレンの音が聞こえたのだ。
次回更新は7月18日(土)、11時の予定です。
【イチオシ記事】ホテルへ向かう車で何度も「まずいなあ、はまっちゃうよ」…選ぶ相手は既婚者ばかりだった。
【注目記事】58歳の誕生日、8時間の出張サービス利用で息子ほど年の離れたセラピストとホテルへ。1時間もしないうちにシャワーを浴び…
ゴールドライフオンラインは、表現者を応援するウェブメディアです。
生身の人間が紡ぐリアルな言葉だからこそ、読者の心を揺さぶる力があると確信しています。
あなたも、"表現者"になってみませんか?
ゴールドライフオンライン編集部:glo_henshu@gentosha.co.jp