また、教会のシスターからはキリスト教の習慣や戒律について、ホテルの料理長からは宗教の差による食材の相違や、料理の仕方について教わるときもあった。

さらに、貿易会社の社員からは輸入する自動車や工作機械の最新技術や様々な商品についての説明を聞くことができた。奈津にはそれらすべてが目新しく、興味を惹かれるものだった。

奈津の関心は世界に向かって広がっていったが、反対に世相を暗い影が急速に覆ってきた。日本軍が仏領インドシナに進駐したことに対し、アメリカは七月に日本の在米資産の凍結を実施した。

これに対抗して日本政府も資産凍結令を公布し、英米人の日本での財産処分や事業を禁止したために、英米企業は日本から撤退し、同時に多くの外国人が日本から引き揚げていった。

専門学校の教師も数人が帰国した。しかし、それでも横浜にはまだ数百人の外国人は残っていたし、教会の鐘の音も響いていた。

その年の十二月八日にとうとう戦争が始まった。その日のラジオ放送では、帝国海軍航空隊がハワイの真珠湾を奇襲攻撃し、戦艦二隻を撃沈、戦艦四隻と巡洋艦四隻を大破させる大戦果を挙げたと告げていた。

また帝国陸海軍が、フイリピンへ上陸し、またマレー半島でもシンガポールへ向かって進撃を開始したと報じていた。

奈津は一カ月程前の、上司と社員の会話を思い出した。

「最近は横須賀軍港に停泊している軍艦の数が少なくなっている。近々海軍で何か大きいことでも起きるのではないかな」上司は不安そうに言った。

その上司の実家は横須賀に近い田浦にあり、休日に山の梅林の手入れに行くと、山上からは横須賀の軍港が見渡せるとのことだった。

「もう横須賀の軍港には、戦艦や空母のような大型の軍艦はほとんど残っていない。今まではそんなことはなかったのだか、いったいどこに行ったのだろう」

「艦隊は長期演習にでも行ったのではないですか」社員の山根は心配しすぎだと言った。

「それにしては出港した艦船の数が多いし、期間も長過ぎる」上司は訝(いぶか)しそうな顔をした。

「それに梅林にまで憲兵隊が巡視に回ってきて、色々と尋問をする。スパイや不審者がいないかを調べている様子だ……。尋常ではない。もし英米と戦争にでもなれば、この貿易事務所も閉鎖になるかもしれないな。外国からの荷物が入ってこなくなるのだからな」

上司は心配顔になっていた。

「もし戦争が始まれば、僕もまた兵隊にとられるんですかね。二年前に兵役が終わって除隊したのに、郷里では仕事がなくてやっとこさこの会社で働けるようになったばかりですよ」山根が心許(こころもと)なさそうに言った。

 

👉『野島・夏島』連載記事一覧はこちら

【イチオシ記事】月に3回、同僚とホテルへ行く習慣ができた。職場の飲み会の帰りにそういう流れになって、恋人はいたけど止められなかった。

【注目記事】その夜、彼女の中に入ったあとに僕は名前を呼んだ。小さな声で「嬉しい」と少し涙ぐんでいるようにも見えた...

 

ゴールドライフオンラインは、表現者を応援するウェブメディアです。
生身の人間が紡ぐリアルな言葉だからこそ、読者の心を揺さぶる力があると確信しています。
あなたも、"表現者"になってみませんか?
ゴールドライフオンライン編集部:glo_henshu@gentosha.co.jp