だが私はまだ若く、土木技術もやってみると面白かったように、最初は「なるほど営業というのは、こうやるのか」くらいに思って、やってみようとした。
確かにT市役所に社長に付いて行くと、土木課の職員はもちろんのこと、どこの課でも必ず、社長を知っている職員がいて、掃除や駐車場の従業員まで、「社長」とか「熊さん」とか言って、親しく声をかけてくるのには感心し、こういうのもいいな、と思い、少しは真似してみる気になったのだった。
だが現場仕事も完全に卒業したわけではないので、実行し始めると、これまでも、図面や写真、出来高書類を作成するのは、雨が降らねば、現場が終わってからする決まりごとがあったので、役所周りが加わると、雨の降った日曜くらいしか休めなくなった。
更に社長は、「結婚せねば、男は一丁前じゃない」と言い放ち、見合いを強要するようになっていた。
断り切れず、二度だけ、やったが、相手には申し訳なかったが、のらりくらり、仕事の忙しさを口実に逃げるしかなかった。
そして、次第に、自分は、社長のように、誰とでも話を合わせるのは無理だと気が付き始めていた。子供の頃から、いわゆる「世間話」ができないのだった。
当時、T市がすっかり見下ろせる、新築の県営集合住宅の最上階の十階に住んでいたのだが、酒を飲むと、その夜景を見ながら、当時流行っていた杏里の「悲しみがとまらない」という歌を、繰り返し、周囲を気にせず、次第に大声で歌うのを止められなくなったのを覚えている。