【前回の記事を読む】傷害事件で2度刑務所に入った男が、中古車店で見せた“交渉術”…値引きを渋った瞬間、怒号を上げ、店員を恐怖のどん底まで……
2.そして私は、土建屋に入った。
実際、若い私は、いつも感情的な問題を扱いかねていて、いつも酒を飲み過ぎた。
朝、六時には会社に到着していなければならないのに、夜中の12時で酒を切り上げるのは至難の業で、大体、周辺の集落から来ている農家の現場作業員に、「くせえなあ」とよく鼻をつままれるほど、午前中は酒が抜けず二日酔いだった。
そして、昨晩の自分の失敗や失言などが繰り返し蘇り、重い頭を抱え、意気消沈していたものだった。
そんな時、上越の山々が見える広い現場に出て、杭を鉈で削り、二十メートル毎に、掛矢で一本また一本と杭を地面に打ちつけ、レベルとトランジットで高さと方向を決め、助手の作業員に鉛筆で記してもらい、その印から水平を取って、横板を次々、打ち付けて行き、百メートル分が終わるころは、昨日の嫌な感情は霧散しているのだった。
私は一級土木施工管理技士を取得するのも悪くないな、とすら考えていた。
ところが社長は「そろそろ技術屋は卒業だ」と言い放ち、現場仕事を減らし、役所での一連の工事縦覧から始まって入札まで、そして入札前日の土木組合での「話し合い」まで、私を連れて行くようになった。
典型的な昭和の高度経済成長期の猛烈社員だった社長は、どんな場所でも上座下座があることから始まって、名刺の出し方、挨拶の口上、時間と約束は必ず守ること、人から聞いた話は、決して他人に漏らさないこと等、教えこみ、時間があれば、いつも役所へ行き、相手が無視しようが、構わず、ニコニコし、名刺を土木課から始まって配りまくり、顔を売ることを命じた。
私の一番苦手なことだった。