前書き
正確にはいつからか、断言できないが、恐らく大学院を除籍になったあたりから、ずっと自分を見失っていた、と言えなくもない。しかし、それは24歳の頃だから、それから60歳過ぎるまで、つまり、36年間、自分を見失い続けていたというのも変な話で、その間、やはり自分であったことに間違いないだろう。
ただ、中学生の頃、考えていた漠然とした自分の将来に対する予想は、大学院を除籍になったあたりから、悉く裏切られ、その大半は鬱病に苦しめられる人生だったが、69歳になった今、何か妙に納得している。
というのも、もし、中学生の頃、考えていたままの自分が、自分の思い描いた希望のままに、多少の苦労、努力しながら、その通りの人生を送れ、無事に生涯を過ごせるなら、人生など必要ないのではなかろうか。
もし、そうした幸運な人生が送れた、と言い切る人がいたとするなら、それは、意識的にせよ無意識的にせよ、記憶を改竄しているだけではなかろうか。
69歳になった自分の実感は、先ず、自分のことなんか本当のところ分からないし、自分の希望とか理想とかもわからない、そして、人生に出てみると、予想もしないことが起こり、大概の場合、何かメリハリのついた対応もできず、情けない思いをしながらも、投げずに、それでも生きていると、人生の終わりに、そうか「俺ってこういうやつだったのか」とぼんやり思う。そんなものではなかろうか。