【前回の記事を読む】一般的な会社では見られない変わった官僚…強大な国家権力を持つ外交官でありながら、酒を飲むと「赤ちゃん」になってしまい……

1.大学院を辞めるに至った経緯。

ここに戦争が有史以来、終わらない理由もあるのである。つまり戦争を起こすような権力者は、人前で赤ちゃんになれると同じくらい、簡単に戦争を始めるのである。

そんな馬鹿な、だからと言って、さすがにそうは簡単に戦争は起こせないだろう、というかもしれない。

しかし、こう、想像してみれば権力を握るということの意味が分かるだろう。例えば、皆さん、物心ついてから、今までに、一度は「あいつがいなくなったらなあ」と深刻に思ったことはないだろうか。

そして、そうした時、自分が相手を直接的にでも間接的にでも、簡単に消す手段を持っていたとする、それが仮にばれたとしても、この世の誰も、あらゆる法律も、自分を断罪することができないとしたとき、自分を引き留めることは結構、難しいとは思わないだろうか。権力者のスタンスは、こんなものなのである。

このスタンスで、自分が国家単位の軍隊を動かす権力を持っており、尚、億単位、いや兆単位の自分と自分の仲間の利益が危うくなり、しかもそれを邪魔する個人や、その個人が所属する集団が特定されるなら、誰が、暗殺、ジェノサイド、戦争を躊躇うだろうか。

無論、敵を消滅させるまでは問題なくできたとして、ここで人間の良心の問題が初めて出てくるのである。

しかし、ここでは、先ほども書いたように、この問題は扱わない。もし、この問題が気になる人は、例えば、ドストエフスキーの「罪と罰」を初めとする一連の長編小説を読むことを勧めたい。

さて、話を戻そう。私はまだ、熊沢社長に会いに行く経緯も書いていなかった。しかし、それまで家庭教師くらいしかしたことのなかった仏文専攻の学生が、なぜ三年間もずるずるとT市Bクラスの土木建設会社である熊沢建設で働くことになったのかを了解して貰うためには、ここまでの説明が必要だった。

つまりそもそも当時既に珍しかった結核に追いやられ、一年近く入院して病院を出ると、今度は、当時はあまり流行っていなかった鬱病になった原因は、受験勉強により志望大学へ合格した成功体験から、「意志と努力」で決めた目標に向かって、予定表を立て効率的に生活していれば人生は完璧だと思い込んでしまったことにあった。

先ほど、書いたように、人工的に仕切られた安定した環境、ぬくぬくとした環境にいる人に囲まれ、安定した時代で成長した幸運も、この確信を強めたのだった。

そして更に、その頃、やけに気に入っていた、フランスの哲学者アランの諸著作が、そうした「意志と努力」を正当化する理論的裏付けとなったのだろうか。

私も人並みに高校生くらいから、恋愛問題には手を焼いていた。そこでアランの「情念とは体液のさざ波にすぎない」という言葉に非常に感銘し、精神的問題はすべて肉体的問題に還元しうると信じこむことになった。