また、ある日、一人、酒を飲みながら、ポール・ヴァレリーの年譜を読んでいて、若き日のヴァレリーが年上の人妻に対する自分の感情を抑えられず悶々とした結果、ある嵐の夜「愚劣な情念」と一切決別した、というエピソードを読み「これだ」と思い、自分の極めて自然な若い欲望すら諦めねばならない、と思い込んでしまった。
自分で、今、書いていて、若さとは何處まで馬鹿になれるか、という思いしかないが、これは本当の話なので、そのまま書いておく。
実際、その時は、酒に酔った頭で、そう思っただけで、「愚劣な情念を捨てる」なんてできるわけもなかったが、大学院へ進学すると、自分の「意志と努力」の生活を邪魔する環境を変えようと、西川口へ、いきなり引っ越しした。
何故、西川口か。大学のある駅へ、乗り換えなしで行ける路線沿いで、家賃の上限、部屋の広さ等、自分の手帳に8項目、並べた条件をクリアする場所を「合理的」に探して行ったら、一日目の大森、蒲田の後、二日目、反対方向の西川口に辿り着いたのだった。
それまで、窓から隣のアパートに手が届くくらいのごみごみした巣鴨の、北向きで四畳半に小さな流しが付いただけの共同トイレの木造アパートに住んでいたので、六畳間と六畳のキッチンのついた日当たりの良い二階の一室(ただし、当時は珍しくはなかったのだが、巣鴨同様、風呂はなかった)を案内されると、駅から優に十五分ほど歩かねばならなかったが、即、決めてしまった。
その街区の隣には、野球場と陸上競技場まである青木公園まであったことも、即決の理由だった。
当時、一人のクルド人もいなかった西川口での生活は、特に書くべきことはない。受験生活の延長の様に、アパートでは、予定表通りの勉強をし、後は、大学と、たまに神田の古本屋街へ行くだけの生活だった。
他の友人は、大概、就職していたので、既に飲み会もめっきり減っていた。巣鴨にいた時は、毎週、誰かに「急襲」されるという感じだったし、大家のオバさんも、よくお茶に呼んでくれたし、居酒屋のおやじとも親しくなって、いくら飲んでも1500円以上請求されることはなかった。
そういう「邪魔」が嫌で、川を一つ越えた、誰も知り合いのいない西川口を選び、目論見通りになったわけである。
次回更新は5月25日(月)、11時の予定です。
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