【前回の記事を読む】前任が“ある理由”で辞めたとは知らず、初めての授業へ。すると板書中、消しゴムを投げつけられた…帰り際には生徒が花火を……

4.そして進学教室の講師になった。

私は高校時代の、例の元作家だったK先生のことを思い出した。先生は、最初の授業の冒頭で、授業中、寝ててもいいが、一切の私語はまかりならない、と宣言した。「あれだ」とピンと来て、すぐ実行してみた。

しかし静かに始まっても、二十人の半分くらい、遅れて次々「颯爽と」登場してくるので、全員が揃ったころには元の木阿弥になってしまうのだった。

そこで、遅れてきた生徒はこちらの許可なしには入室できない旨を告知した張り紙をドアに張り付けた。それでも入ってくる生徒がいたが、それは社長の「唸り」を小出しにして、断固、廊下に押し返し、授業が一段落するまで絶対入れなかった。

しかしある時、まとめて遅れて来て「お金払っているのに、教えてくれない」とか、他の教室に聞こえるように騒ぎ始めたので、「ここだ」と、ドアを叩きつけるように開けると、社長直伝の唸りを思い切りかました。様子を見に来た室長を含め、全員の動きがぴたりと止まり、それで終わりだった。

その日から、皆、こちらの許可が出るまでおとなしく待っているようになった。それから揺り戻しもあったが、その日を契機に、生徒は沈静化して、やはり大人の方が厄介だと私は確信した。

授業に問題がなくなれば、最高の職場だった。信じられないことに、本当に営業とかチラシを撒きに行く必要もなく、完全週休二日だった。毎週一回、本部での会議に出席するだけで、拘束時間は毎日きっちり午後の八時間勤務するだけで、月末、条件通りの給与が振り込まれていた。

小中学生の英語と国語の基本的知識を一度さらっておけば、毎日最大四時間の授業外の残りの時間で、事務的な書類の作成や独自教材の改定をゆっくりやっても、まだおつりがきた。一度、試験前の日曜講習を頼まれたが、午前中五十分、二コマやるだけで、きっちり交通費と一万円払ってくれた。

当初は次を探す「腰掛け」のつもりだったが、本当に一番やりたいことは小説を書く事だと、その時はまだ信じていたので、そのために最適の職場だと次第に思うようになっていた。それで、実際、「長編推理小説」を書き始めることにした。