【前回の記事を読む】警察署からの電話で、殺人未遂事件の容疑者の車が私名義になっていたと知り…まさか。私が車を譲った相手は、あの真面目な…
4.そして進学教室の講師になった。
私はその頃、浦安の市立図書館から百メートルも離れていない1DKに住んでいたので、自分の絶望感に答えを見出すべく、仕事に出かける以外は大概ここにいて、片っ端から本を読みまくっていた。
書物から何かヒントを得て、一時元気になっても、また心は沈み込み、そんなことを何回か繰り返しているうちに、結局、書物の力はその程度かと諦めかけたが、ともかく、ある種の「言葉」はそれなりに力があり、読むことを止めることができなかった。
そんな折、早坂茂三の「角栄本」の一つに出会った。
「そうか、何をやりたいかなんて考えず、目の前にある具体的なことを、ともかく精いっぱいこなしていけば人生は成り立つのか」と、インスピレーションを得た。
いつも気に入った著者が見つかると、当時はアマゾンがなかったので、その著者の本を探しに神田まで行き、先ずランチョンの生ビールでランチを食べてから、古本屋街で探すのが、私の唯一のレクリエーションだった。
当時、田中角栄はまだ存命していたが、脳梗塞で倒れて以来、一度「フライデー」が目白の田中邸の庭で車いすに乗る元首相の写真をヘリコプターから「激写」した以外、一切の消息は公にされていなかった。
「早坂本」は、四、五冊、すぐ見つかり、更に少し探すと「日本列島改造論」まで発見し、それらを購入すると家に帰ることにした。
帰りの東西線で早速読み始め、浦安へ着く前に五十ページ、既に読み切っていた。
そして部屋に戻るとそのまま読み終えて、更に今度は赤線を引っ張りながら、またもう一度読んで「今度こそ」すっかり、何か自分の人生の指針を見つけたような気分になった。
早坂茂三は、簡潔にまとめてくれてはいたが、別に、オリジナルな田中角栄の「方法」を示したわけではない。
角栄は、数字に還元されるような明確な事実に基づいた具体的な行動に結びつかない言葉に、それが人間や世界に対する深遠な「真理」を暗示しているにせよ、徹底して無関心であった。
例えば、早坂が秘書になった時、先ず教えたことは「正しいお辞儀の仕方」で、自らやってみせて、角度まで指示したり、お金を渡すときはピン札で一、三、五の枚数から選び、祝儀袋は小さい方がよく(なぜなら、大きい袋に見合ったものが入っていないと、人間、喜ばない)必ず三つ折りにして中に入れろと、これまた実際にやって見せて、何度やっても簡単に綺麗に機械が折ったようにピン札を三つ折りにした。
更に、早坂に用件がある時は「コクヨの大きめのメモ用紙」に、何をして欲しいか簡潔に書き、それをして欲しい理由を三つだけ書け、と命じたので、「でもオヤジさん、三つじゃ書けない事も世の中にある」と反論すると、例のだみ声で「馬鹿なことを言うな。三つで言えない大層なことなんか、ありやしない」と一言。
そして、出来ない用件はその場で断り、出来る用件は、すぐその場で、「誰誰に」電話することを命じた、と言う。