【前回の記事を読む】予備校をクビになり、40歳目前で次の仕事も決まらず……すると、教え子だった中学1年の女子生徒2人が思わぬことを言い出し……
4.そして進学教室の講師になった。
そこへ不動産屋に、契約をどうするか電話で打診されたので、つい延長しない旨を言ってしまった。その電話が午前中で、午後になる前に後悔して、午後一番で不動産屋に電話をかけたら、もう次の人が決まってしまった、とのこと。
事情が変わったので、その人に断ってくれないか、と頼むと、その人は長野の人で、それだけ決めると長野に帰って四月まで出てこないので無理だときっぱり言われた。
それで本当に三月末までにアパートを探さねばならなくなり、予備校の最寄りの駅前の不動産屋に行き、全然土地勘がなかったので、二人の女生徒の家の中間地点に、京成電鉄の駅があったので、その駅周辺を訊いてみた。
すると、今住んでいる1DKより一万円だけ高い7万三千円で、六畳二間と六畳のキッチンで築一年がある、という。見に行って、即、決めた。
引っ越しして先ずやったことは、百万円で買った中古のカリーナED(私はカリーナが好きだった)を売り飛ばすことだった。
これは土建屋の時、倒産した同業者の話になって、社長が「最初から俺には分かっていた。とにかくあいつは、商売を始めた時、先ず新車を買ったんだから」と呆れたように言ったことを覚えていたからだった。
商売に向いていないことを承知しながら流されるように商売を始めた私だったが、やはりそれなりに覚悟を自分に示すために車を売ったのだろう。
だから、塾を始めたばかりの頃以外は貯金を崩すことなく、二十年以上、塾を続けることができたのは、こうした土建屋の社長と兄の、とにかく無駄金を使わず商売をするスタイルを踏襲したからだろう。
それにしても、人から給料を貰うのと、直接、現金を「お客」から貰うのはこうも感覚が違うのか、と思い、これで自分の生活が成り立つまで生徒を増やしていくことなど、想像を超えていた。
取り敢えず、何でもいいから勤めを探そう、なければ、M市に戻ろうなどと考えていたことも確かだった。予備校からの振り込みがなくなると、いわば「小舟に乗って、大海に漕ぎ出した」気分になって、最初の二、三か月、終始原因不明の片頭痛に悩まされ、土建屋の時にも出なかった血尿まで出た。