菊池寛が、若い作家が原稿を持ち込むと、必ず「テーマは何だ」と問い、簡潔にその面白さを示せねば相手にしなかった、という話がある。
無論、小説の面白さは、それだけではない。例えば、吉本隆明によれば、太宰治が、志賀直哉の小説なんか「詰め将棋じゃないか」と批判して、「俺の小説は一行目からもうおののきで、どうなるか自分でもわからない」と断言したとのこと。
もし、太宰が、「人の真情を信じることのできない暴君が、真の友情を知って、感動し、自分のこれまでの心持をすっかり改めた」という小説を書きたいなどと言ったとしたら、菊池寛は「何じゃ、それは」と激怒したのではなかろうか。
しかし、そうしたありきたりのテーマと知りながらも、久しぶりに「メロス」を読み始めると、「単純な」メロスが「激怒」したという殆どただそれだけの理由で、あっという間に、王とメロスのあり得ない「約束」をぬけぬけと書く筆者に、何故か納得している自分を見出し、メロスが走り出すと、「そんなバカなことが」と思いながら、そのまま、最後まで引きずられてしまった。
何なのだろう、なるほど「おののき」に違いない。三島由紀夫が、彼の才能に嫉妬したという話も納得できる。まったく太宰の文章力は尋常ではない。
だが、太宰のような稀有な少数者を除くと、概ねの作家にとっても、日本に初めて「文壇」を力業で作り上げた、文芸春秋社の創業社長の忠告は依然として正しいのである。
そして菊池寛に付け加えると、人間にとって面白いテーマというのは、ある程度決まっている。なぜなら,ユングによると、心には既に「元型」となるパターンがあって、ある種の対象に同じように反応する。いや、ユングなどを持ち出すと私の浅薄さがバレるので、もっと分かりやすい例を引こう。
ある時、地下鉄に乗っていると、アクの強そうな中年女性が、似た雰囲気のもう一人の女性に「家のお義母さんはね、細かいったらありやしないのよ、この前ねえ……」周囲を憚らぬ大声で始めると、私は読んでいた文庫本から一気に、自分の関心がそちらに向かうのに抗う事が出来なかった。
周囲を見ると、やはりほとんどの人が、そのオバサン同士の会話に聞き耳を立て始めた気配であった。であるから、作家志望の若い人は、志賀直哉や芥川龍之介を参考にするのではなく、まず橋田壽賀子や向田邦子の作品を丹念に読み込むことなのだ。
ともかく当時の私は、これほど明確な文学観を持っていたわけではないが、映画やテレビドラマ隆盛の時代に、読者に能動的な姿勢を要求する小説は余程面白くなければならない、具体的に、最初の五十ページまでともかく読ませてから、次を考えねばならない、そして、最後のどんでん返しも必須だ、というので、その考えに一番見合った形式である、長編推理小説を書くことにしたのだった。
次回更新は8月17日(月)、11時の予定です。
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