【前回の記事を読む】兄のレストランで皿洗いを始めて2か月、冷たかった同僚が突然ビールをおごってきた。彼が本当に警戒していた相手は……
その3.そしてアメリカへ
69歳になった今、もしあの時に戻ったら、仕事は夜だけにして、極力、英語しか使わない生活を、マスターするまで、続けるべきだったと思う。
しかし、いくら若くても、やはり、どんな仕事でも困らないくらい英語をマスターするには、少なくとも三年はかかるだろう。だが、たったの三年で、まだ33歳である。
しかし、若い私には、30歳からやり直すなど、悲しいことに、想像を超えていた。
それで六か月後、いよいよサンフランシスコ国際空港に行ったのだが、当時、既にアメリカでは禁煙運動が広まり始めていたので、たばこの煙が濛々とする待合所を見て、すぐ、あそこがJALだと分かった。
私も同胞と一緒に一服し、滑走路を見ると、毎週、土曜日の夕方になると、連れ立ってレストランへ来て、宴会をしていた、日本航空の貨物に勤める日系人の知り合いが、フォークリフトで飛行機に積む荷物を運搬しているのが見えた。しかし、未練は全くなかった。
スーツケースから、紀伊国屋で買った文庫本を取り出そうとすると、白紙のままの500枚の原稿用紙が見えたので、苦笑せざるを得なかったが、ともかくほっとしていた。