4.そして進学教室の講師になった。

M市の実家に戻ると、本当は家で少しはゆっくりしたかったのだが、母は世間体を気にして、すぐ東京へ出て、仕事を探さねばならない雰囲気を醸し出していた。そして、相変わらず焦っていた私も完全に納得していた。

しかし、すぐ、自分に合った仕事が見つかるとは思わなかったので、当面、すぐできる、暇な仕事をしながら、次を探そうと思った。

東京の友人のアパートに一週間ほど、泊めてもらい、就職情報誌を頼りに、仕事を探すと、その条件にぴったりだったのは、バブル前の四谷大塚系の進学教室だった。

週休二日で、最初から、T市の土建会社と同じくらいの給料が提示されていた。

私は、実際には、生徒集めの営業するとか、何か他の業務があるのかな、と思ったが、二、三時間の残業は普通で、年度末になると、雨の日曜くらいしか休めない、土建屋から見ると知れているだろうとも、思った。

人形町にある進学教室の採用試験に合格すると、江東区にある東西線の駅近くの雑居ビルの四階にある、中学生と小学生、合わせて二百人弱の教室に配属になった。

正直に、最初、その教室で仕事を始めた時の感想を書くと、土建屋とレストランでの仕事の感覚からすると、私は、スローモーションの世界に入ったのかと思った。土木建設業界、行列ができるレストラン、と比べると、全てがゆったりしていた。

大概、授業を始めとする業務に対して、マニュアルか、丁寧な説明があって、それを咀嚼し、質問し、実地研修をしてから、仕事を始めることができた。