【前回の記事を読む】兄に頼まれ、30席の和食店で働き始めると客が7回転。皿が足りず、包丁を持ったスタッフが真っ青な顔で飛び込んできて……

その3.そしてアメリカへ

しかし、不眠症は相変わらずだったが、二か月立つと、手が信じられないほど早く動くようになり、どれだけ客が来ても、閉店後の三十分以内で終わるようになった。するとKの態度も変わり、余裕がある時はディナーまでの合間に、近くのファミリーレストランで、ビールをおごってくれたりした。そこで当初のKの不機嫌の理由が分かった。

前に言ったように、兄のレストラン規模では、グリーンカードの申請は年間に一人しかできず、そのつもりで入ったKは、いきなりオーナーの弟の出現に、これはヤバいと思ったのである。しかし私が最高六か月で帰るつもりでいると知ると、態度がいきなり変わったというわけである。

しかし、Kは私が楽しみにしていた作家の父の話はしたがらなかった。何でも、日本の大学へ入れという父の希望を振り切って、アメリカへ来たので音信不通だとのこと。今では仕事をしながら、後部のドアを荒縄で括り付けた、百ドルのムスタングに乘って、確かサンフランシスコ市立大学へ通っていた。

兄の店は、10店舗ほどが入った小さなショッピングセンターの一角にあったのだが、隣の隣の店舗が空いたので、そこでもう一軒、レストランを始めることになり、一緒に始めた寿司職人のOさんが、元の店をそのまま続け、兄がその新しい店を始めることになり、私は皿洗いと同時にウエイターもすることになった。

店を開けたばかりの時は暇で、後一人、ウエイター兼皿洗いがいただけだったが、余裕だった。客に分からないように湯飲み茶わんに入れれば、店のアルコール類は飲んでいいと兄から言われていたので 、二人でワインを楽しむ余裕があった。

しかし、それも一週間だった。寿司バーがないだけで、後は大体同じものを出しているのだから、隣の隣で七回転を待つより、こちらに来た方がいいに決まっている。