【前回の記事を読む】休めるのは雨の日曜だけ…現場仕事に営業まで押しつけられた私に、社長は「結婚せねば、男は一丁前じゃない」と勝手に見合いを組んでいて……

その3.そしてアメリカへ

私は、大学生の頃から、大学ノートに折に触れ、日記をつけ、結核で入院した時には、毎日書くのが習慣になった。土建屋時代は、精々一週間に一回、時には半年全然書けない時期もあったが、ともかく、以来、69歳になった今日まで、書き続けている。土建屋を辞めたばかりのある日の記述にこうある。

「6月6日 とうとう今日限りで、会社を辞めた。これで、完全に貸し借りなしのゼロになれた。天使の様に自分は自由だ。後は何も言うまい」

「貸し借りなしのゼロ」と言うのは、社長が、二十代から貯金する奴は、ロクなものにならない、ということと、だれに対しても奢られっぱなしはダメで、必ず、お返しをしろと繰り返し言われていたので、給料は全て、その月で使い切ることにしていたし、奢られたら奢り返すことにしていた、ことを指すのだろう。

春夫さんと車を買いに行った話のように、自分にある現金で買えなければ諦めたし、ローンなど組んだことはなかった。だから、土木時代に後の因縁になることはない、と言いたかったのだろう。しかし「完全に」ではなかった。

90万の車を40万で買ったので、50万、得をしたのだが、あの事故車らしいシグマは、どう考えても、50万の価値はなかった。そして、名義変更はまだ済ませていなかった。車検や自動車税の時に、すぐ、問題になることなのに、今より40歳若い私は何を考えていたのか、今では理解不能である。

「天使の様に自分は自由だ」というのは、どのテキストかは忘れたが、サルトルの完全なパクリであった。実際は、6月12日の記述に既に「色々なことを考えているうちに、段々と憂鬱になってきた」とあり、天使どころではない。

土木の仕事が忙しい時は、せめて毎日八時に家に戻れれば、いくらでも書くことはあると思っていて、だから、辞めるとすぐ原稿用紙を500枚買っていた。実際、すぐ、春夫さんの話でも書き始めれば良かったのかもしれない。しかし、暇になると、私の悪い癖が戻ってきた。

何もかも考えすぎるのである。書くからには、すぐ受けるものを書かねばならない、と、先ず、書店へ行って、最近、流行っている本を調べ、時代に合ったテーマを決め、などと始めたものだから、少しも書けずに三か月を過ぎたところで、アメリカにいる四歳年上の兄から電話があった。