子供の頃、柔道の締技を覚えた兄の練習台に、いつも首を絞められたりしていたのであまりいい記憶はないのだが、私が大学へ入ったあたりから馬鹿にやさしくなっていた。

高校の時の英語の成績が2だったのに、アメリカへ行けば何とかなると、十九歳の時、元気よく、当時まだ運航していたサンフランシスコ行きの定期便に乗り込んだのだが、やはり何とかならず、当初は相当苦労したようだった。

例えば、サンフランシスコで仕事が見つからないので、五百ドルで買った中古のフォードに乘って、カリフォルニアの南部へ行って、大きな農家に飛び込みで訪ね、jobという単語すら知らなかったので、ともかくworkと言ったところ、農場主はぽかんとしている。

そこで、workを、いろいろアクセントを変え、繰り返したのだが、悲しいことに、それまでローマ字読みでwalkを「ワーク」workを「ウオーク」と発音する習慣があった。それで、その太った白人は「walk?」と言うと歩き出したとのこと。

それでもそこで、仕事はもらえたらしいが、その後、「キャンプ」で仕事があるというので、キャンプファイヤーのイメージで勇んで行ったところ、「怒りの葡萄」に出ている、労働条件最悪の季節労働者の「キャンプ」だった。

そんな苦労をしながら、それから、サンフランシスコに戻り、ダウンタウンのレストランの皿洗いから始め、「2ジョブ」をしながら金を貯め、三十になったところで、知り合いになった大阪出身の寿司職人と、国際空港近くのサンブルノの町で、小さな日本食レストランを目出度く開業して、どうにか三年で軌道に乗せていた。

「仕事を辞めてぶらぶらしているんだって、アメリカへ来ればいいがな」

「いやあ、こちらで少し始めたことがあるし……」

次回更新は7月6日(月)、11時の予定です。

 

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