その礼だけはきちんとしておきたい。
「うむっ」
石動のこめかみがびくんと震える。
釣ってきた鯉の肝と身の一部をもらう。そこまではいい。だが、鯉の代価として酒を受け取ればそれは商売と成る。石動は、浪人はしたがまだ武士だ。
「勘違いしないでくだせえ。こいつは鯉のお代なんかじゃねえ」
秀次も元は御家人だ。商人(あきんど)の筋と、武士(さむらい)の筋を読み違えた事にすぐに気づいた。このままなら石動は立ち上がって出て行く。そして、ここには二度とこない。
「こいつはお神酒(みき)でさ」
料理の修行以上に喧嘩の修行も積んできている。喧嘩をする呼吸も、させない呼吸も身に染(し)みている。
「お神酒?」
「へい。あっしも釣りは好きで結構やってまさ。ですがずぶの素人が初めてであれだけの大物、しかも三日続けての尺物。こいつはもう石動の旦那に釣りの神様がついているとしか思えねえ。ですから、この酒を石動さんちの神棚に供えて欲しいんでさ。そしてそん時に、のれんの秀次からですって、そう言ってもらいてえ。どうか頼んます」
秀次が一気に語り終えて、両手を合わせて頭を下げた。
釣り人はそうまでして釣りたいものかと呆れたが、石動もこの三日ほどで釣りの面白さは身に染みてきている。
「あー、家の神棚はすこぶる小さい。とてもその徳利は乗らん」
「へい、神様は酒好きだけど下戸(げこ)って言いやす。盃に一杯を上げてもらえりゃそれで充分でさ」
「ふむ、神様は下戸か。ならばもっと少しでも良かろう」
「冗談じゃねえ」
この唐変木め! そう言いかけてやめた。話の通じない相手に話を通す。それは太平相手に鍛えられている。
「神様相手にケチはできねえ。それに、神様はその家の神様でさあ。神様と一緒に家の皆が楽しく飲む。そんで神様も機嫌良くなって、そういえばこの酒はのれんの秀次からの寄進であったの。よし、この次は秀次とやらにも大物を釣らせてやろうって、そうなる寸法だってえんだ。です」
ここまで言って通じねえ相手なら、この先の付き合いはこっちからご免こうむる。秀次がぐっと石動の眼を見据える。 石動も秀次の気持ちは分かっている。だが、分かるのと筋が通るのとは別なのだ。