美瑛からレンタカーで7時間かけて鍬下は羅臼町の相泊漁港の近くにある相愛園という小さな児童養護施設を訪ねた。松尾奈々という50代の小柄な女性園長は彼との面会に快く応じてくれた。
「古葉月渚さん、もちろん覚えています。あんな悲しいことがありましたからね」
「悲しいこと?」
「2016年の4月にあの子が初めてここに連れてこられた時にとても心配しました。ここには遠い所からいろんな事情で子供たちがやってきますが、彼女のことは皆、奇跡の少女としてよく知っていました。
でも10年前TVに出てからはずっと誹謗中傷され続けて、そのうえ、那花吉郎さんが亡くなった後、小百合さんからも見捨てられて、彼女はとても傷ついているように見えました。
誰とも目を合わせないし、声をかけても返事もしませんでした。近づこうとすると怖がって後ずさりするんです。実の母親の形見だという人形をいつも大事に抱いていました。彼女が唯一心を開いていたのは美瑛から連れてきた黒猫だけでした」
「黒猫? ドクトルですか?」
「いいえ。クロスケという名前でした。こんな田舎の施設ですから厳しい規則もありませんし、一緒に飼うのを許可したんです。他の子供たちも喜んでかわいがっていたので、彼女も少しずつ周囲に心を開くようになっていたんです。
ところがある日、一人の漁師が施設に怒鳴り込んできたんです。クロスケが釣り上げた魚を盗んだって言うんです。泥棒猫を飼うのならおまえたちがここから出ていけと物凄い剣幕で無理難題を言い続けました。
私は何とか説得してその人をようやく帰しましたが、廊下で月渚ちゃんはその話をずっと聞いていたようなんです。夕食の時間に現れないものですから、施設や周囲を捜しましたが、クロスケと一緒にどこかにいなくなってしまったんです。
警察や消防に連絡して港の漁師さんたちにもお願いして周囲を捜索したんですが、どこにも見当たりませんでした。日が沈み始めて辺りも暗くなってきたので、まさかと思い、私は漁師さんに頼んで船に乗せてもらい、ここより3キロ程北にある観音岩という断崖に向かいました。
するとその断崖の上に彼女が立ってたんです。人形を胸に抱いていました。近くにクロスケもいました。私は大声で呼びかけたんですが、聞こえないのか彼女は一向に振り向きませんでした。
そして、そこから海に飛び込んだんです。一瞬のことでした。
驚いたのはその後、クロスケも海に飛び込んだんです。猫が崖から飛び降りるなんて想像もしませんでした。
でも、不思議なことに水しぶきも上がらなかったんです。暗くて見えなかっただけかもしれません。慌てて近くに行きましたが彼女は見つかりませんでした。
次回更新は5月26日(火)、21時の予定です。
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