【前回の記事を読む】毎年“自分の遺影”を更新し続ける老人…10年も続ける理由を聞いた瞬間、彼の表情が一変し……
2、毎年遺影を撮る老人
孝蔵が勤めていたのは化学系の商社で、戦後に設立され、奇跡といわれた日本の復興とともに急成長した。
孝蔵は会社の中枢で長らく活躍し、取締役まで上り詰めていった。会社の成長を支えたメンバーの一人という自負があり、社内外からもそう見られていた。
そして、惜しまれる声もあったが、70歳を機に勇退を決意した。
初めの頃は、それまでの部下たちがことあるごとに家に来て意見を求められたり、会社の行事に呼ばれたりもしていた。
社内報で近況を伝える記事を出したいと言われ、そこで使う写真を撮ったのが間宮寫眞館での最初の1枚だった。
しかし、翌年になって取引先から新社長を迎え経営陣が刷新されると、孝蔵に連絡を取る人もめっきり減った。それでも孝蔵は社内報の準備として間宮寫眞館で2回目の写真を撮った。
記事になることはなかったが、前経営陣を紹介するページの隅に小さく孝蔵の名前と写真が掲載された。会社との関わりで写真が使われたのはそれが最後だった。
孝蔵は会社の変化を薄々感じていた。外部からの社長を中心とする新体制は、それまでの経営メンバーの影響力を意識的に遠ざけようとした。
従来行われていたOB会も中止となり、孝蔵たちは事実上シャットアウトされた形となった。
「会社に未練があったわけではないんだ。勇退を決めたのも自分の判断だ。ただ、50年近く会社のために働いてきたので、会社以外のことに人生の張り合いを見いだせなかった。いろいろな趣味に手を出したり、妻と旅行に出かけたりもしてみたが、それは人生の目標にはならんのだよ」
亮介は、黙って聞いていた。自分にもコーヒーを注いで、孝蔵の話に耳を傾けた。