「趣味や旅行というのはね、人生に目標があって、その目標を目指す中でご褒美として存在するからありがたいのだよ。毎日が趣味や旅行では逆に人生のメリハリもなく、色あせたものとなってしまう。わかるかな?」
亮介は急に話を振られたので少し慌てて答えた。
「わかるような気がします。でも、ご家族と過ごす時間も有意義なものではないのでしょうか」
「君の言う通りだ。2年前、妻が脳卒中で倒れたとき、私は動揺し憔悴してしまった。自分より先に妻が倒れるなんて考えもしなかったから。
幸い、次女が出戻って妻の看病を手伝ってくれたので助かったが、私一人では何もできないことに改めて気づかされた。
私は、家のことにほとんど関わってこなかったんだ。80近くになって初めて気がついたよ。でも、それまでは、そのことに気づきもしなかった。
あの頃、私の関心事は、自分の人生の終え方だったんだ。勇退して初めて自分がいつ死が訪れてもおかしくない年代に差し掛かっていることを思い知った。
会社にいた頃は、健康に気をかけてはいたが、自分の寿命のことなど考えたこともなかった。人間なんて都合の良い生き物だ」
孝蔵はふと、亮介の目を見た。長々と愚痴めいたことを話してしまったことを恥じた。
「すまん。つい愚痴が出てしまった。こんな老人の話に付き合わせて申し訳ない」
「斎藤さん、とんでもありません。差し支えなければ続きを聞かせていただけませんか」
孝蔵は、煙草のケースをちょっと持ち上げると、亮介の顔を見た。
亮介は「どうぞ」という表情を見せる。孝蔵は中から1本煙草を取り出して火を付け、深々と吸い込んだ。
「私は自分の人生を後悔してはいない。いろいろなことがあったが、総じて言えば恵まれていたと考えている。自画自賛で申し訳ないが、本当にそう考えているのだ。そうだとすれば、自分が死ぬ最後のときまで、しっかりと生きた証しを残したいと思う」
「有終の美を飾るというわけですね」
「まあ、自分で言うのは憚(はばか)られるがそういうことだな」