【前回記事を読む】農家の身で学費に2000万…だが可愛い孫娘のためなら。1割でも貸してもらえるのなら、と親友にさえお金を無心しに…

Case:B 元・医者の選択

「しかしそうか。まさかきっかけが良三とはなぁ」

「あの……景浦さんってどうしてウチのおじいちゃんと仲が良いんですか? こう言っちゃなんですけど、ウチのおじいちゃんって明らかに景浦さんと友人になれるような器の人じゃないんですけど」

先ほどまでの様子と打って変わり、涼しい顔で毒を吐く若菜の様子がツボに入ったのか、景浦は「こいつは傑作だな」と声をあげて笑う。良三が普段どのように若菜と接しているのかはあまり知らないが、この分ではきっと威厳も何もあったものではないだろう。

二人は当初の目的を忘れてしばらくのあいだ雑談に話を咲かせた。とはいえ寄る年波に勝てなかった景浦は喉の渇きを訴えて温かい茶、それから若菜と一緒に食べる茶菓子を用意するため台所へと向かう。

若菜は誰に似たのか、きんつばやおはぎ、ようかん、もなかといった渋めの和菓子を好むため、いつでもストックは充分にあるのだ。大概、良三に食い尽くされるのだが。

また買い足しておかなくてはな、とどこか楽し気に茶を淹れていると何やら池のほうが騒がしいことに気が付いた。どうやら鯉たちが元気よく暴れているようだが、念のため確認しに行くとなんのことはない。若菜が鯉に餌をやっていただけだった。

「勝手に餌あげちゃまずかった?」

「いや、そろそろ与えようかと思ってた時間だからね。ありがとう」

本当は一時間ほど前に与えたばかりなのだが、若菜の笑顔を見るとつい嘘を吐いてしまう。こういった甘さが子育ての失敗に繋がったのだと分かってはいる。分かってはいるが、若菜を前にするとどうしても必要以上に優しくなるのだ。

「若菜。ワシを近くで見ていたら医者なんか嫌にならないか?」

唐突な後ろ向きの思想に若菜は面食らい、持っていた鯉のエサを落とした。景浦はそれを拾い、頭の中に浮かんだ言葉を順序立てるように手元でいじり始める。

「ワシは医者になったことで妻を一人にする時間が多かった。当たり前だが入院患者の医療は二十四時間必要だ。自宅で休んでいても緊急時に呼び出されることが多い。その緊張感のせいでなかなか気が休まらなくてな。妻に話し掛けられてもおざなりな返事をしたり……まぁ、お世辞にもいい旦那とは言えなかっただろう」

池の鯉たちはまたエサを貰えるのではと水面に群がっていたが、黙って耳を傾ける若菜も口上を続ける景浦もそれに気が付く様子はない。

「そもそも医者になるためには免許を取得するために六年間も大学へ通わなきゃならん。そのうえさらに研修期間を経るといった長い期間のブラッシュアップが必要だ。心が折れそうになることを何度も経験しながらなんとか医師になろうと頑張ってきた者でも、多忙な日々やストレスで、研修医のうちに医療の現場を去ることがある」

「景浦さんもそういう人を見てきたんですか?」

「あぁ。何人もな。もちろん責める気にはならん。ワシだって音を上げたい、逃げ出したいと思ったことがある」