「あ」
思わず息を呑んだ百合の前で、石動がその草を不思議そうに見ていた。
「あー、これは五月のあれか?」
「はい。五月のやぶからしです」
五月がなぜか気に入り、せがまれて一本だけを残したやぶからし。
「うむ。あー、一本を残せば良いのであったな」
「はい。たった一本だけを」
答える百合の頬に、温たかな涙が一筋つたっていった。
「ええ、もうすぐ小っちゃな花がいっぱい咲いて、その後に甘い実がいっぱいつくんですよね」
太平がうっとりとつぶやいた。
「食べられたのですか?」「まさか! 子供じゃないんですから。あ、その時は子供でした。でも食べてません。ええ、ちょこっと舐めただけです」
その小さな実には(実ではなく花盤なのだが)蜂が次々に寄って来ていた。蜂の寄る花が甘くないはずがない。それで舐めてみた。
確かに甘味はあったが、一つ一つが余りに小さくて「甘い!」と喜ぶほどでもなかったので、後は蜂に任せる事にした。
「お帰りなさいませ」
布団の場所はそのままにしてもらった。おかげで玄関も良く見える。
「うむ、戻った。あー、そのままで良い」
起きようとする百合を制して、手拭いで足を拭く。
今日は珍しく井戸端に、あの梅干しのような婆さんがいなかったので、心置きなく足を洗えたのだ。
「あー、生き肝じゃ。すぐに食せ」
石動が手堤籠―これは秀次からの借り物だ。要らぬと言う石動に、「盥を抱えてくるよりかはマシでしょう。それに、ご隠居のいない日には鯉を抱いてくるおつもりですかい」そう言われた―から油紙で封をした猪口(ちょこ)を取り出す。
昼過ぎに、釣れた鯉を持ってのれんに行くと秀次が、「すまねえ、石動さん。昨夜(ゆんべ)はよんどころない事情(わけ)があって今日の仕込みが遅れた。手が空くまで待ってくんねえか。あ、ください。そのかし酒は勝手に飲やってくんねえ。あ、飲んでください」
デコとお文の三人で、太平のサンガを肴に楽しく飲み過ぎて寝坊をしてしまったのだ。
「あー、昼酒は飲まん。水で良い」
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