【前回記事を読む】妻を先に亡くした親友。「お前、奥さん亡くして何年経ったと思ってんだ」「俺はもう一人でいい。それでも寂しくなったら…」

Case:B 元・医者の選択

ある日突然息子夫婦を喪うという悲劇に見舞われた良三だったが、まだこの世の穢れを知らないこの子にこれ以上の辛酸を舐めさせてはならないと、悲しむ暇もなく妻と若菜の子育てに奔走した。年金生活の身ゆえに暮らしは決して楽なものではなかったが、そんな姿を見かねた景浦も不器用ながら手を貸し、若菜はすくすくと育っていった。

時の流れは早いもので、おんぶをしてもリュックサックを背負っている程度にしか感じられなかった華奢な少女は中学二年生となり、今や身長は一六〇センチに達している。

「もう、おじいちゃん、また景浦さん家に来てたの? 携帯電話くらい持っていってよ」

物思いに耽っていた景浦は池のほうから聞こえてくる鈴の音のような声に耳を奪われた。見ると腰に両手を当てて仁王立ちしている少女が切れ長の瞳を一層細めて良三を眺めている。噂をすれば何とやら。若菜だ。

「ちょっとは景浦さんの都合も考えなよ。おじいちゃんと違って忙しいんだから」

「いや、そんなことはないさ。ワシも隠居した身だからね」

景浦はそれまでと打って変わって優しい声色を届けた。

「あんまりおじいちゃんを甘やかしたら駄目ですよ」

「ハッハッハ」

「そういえば景浦さん、今年の冬も火鉢で乗り切るの?」

「そのつもりだよ。どうも愛着が湧いてしまってな。それにこれを近くに置いていれば寒さなど平気だ」

今日び珍しいことに景浦の自宅にはエアコンのような空調設備は一つとて存在しない。先祖代々受け継いできた武家屋敷を彷彿とさせる大きな邸宅の雰囲気を崩したくないからだと彼は言う。それに伴ってテレビなどの家電製品も少ない。

「ウチもずっと石油ストーブ使ってますよ。調子が悪くなってもおじいちゃんがすぐに修理してくれますし。おかげで寒い今年の冬も大活躍です」

「良三は昔から機械イジリが得意だからなぁ。まぁワシらは今さら最新のエアコンを買ったところで、いつ死ぬやも分からん老いぼれだからね。おまけに今は地球温暖化だなんだとうるさい時代だ。なんの役にも立たない老人が地球に迷惑ばかり掛けるわけにもいかんだろう」

「そんなこと言って、景浦さんってば百歳くらいまではピンピンしてそう」

「なんとも言えんなぁ。ワシらはもう風邪をこじらせただけで死ぬ年だから」