【前回の記事を読む】夏の暑い日のドブ板営業…「キャンペーンなんておたくの会社の勝手な都合だろ」と門前払いされてしまい…
回想 ―希望と挫折―
営業職哀歌
めげずに日参のおりに、代理店主の奥様の帳簿つけ等の雑務を手伝っていると、気の毒がってへそくりで一時払い三十万円コースなどの申し込みをくれたりしたが、膨大な予算の前には大河の一滴にも満たなかった。
失意の中、残り少ないキャンペーンの最終日にむけて胃の痛い日々を送っていたある日、課長がその日裕三の代理店の営業同行に向かおうとすると、「しかしあのオッサンも銭もっとらんな~、先日月五千円コースの積立保険頼んだんやけどよう入らんもんな~」と呆れるように言った。
裕三がこれから向かう代理店主に自己契約のお願いをしてくれていたようである。
同調して笑いながらも裕三は、あるしたたかな戦略をもってその代理店に向けて年季の入った社有車のシートに身を沈めハンドルを握った。
ホルモン屋やタコ焼き屋なぞが立ち並び、ところどころ舗装がなされていない『じゃりん子チエ』の世界観そのままの閑散とした商店街の片隅にある代理店であった。細長い奥行きのある長屋の入り口に、やっと読み取れる消え入りそうなマジックで描かれた「竹内商事」の文字が目印だ。
孫に割られたのであろうか、罅に絆創膏代わりにガムテープを施されたガラスの隅に貼られた怪獣のシールが微笑ましい。
ガラガラと建て付けの悪い引き戸を引くと、中の土間に申し訳程度に置いた応接セットの椅子に座り不景気そうに貧乏ゆすりをしながら、煙草をくゆらせた代理店主がいた。
セキセイインコを飼っている鳥かごがことさら貧乏感を演出しているように感じられた。淹れてくれた泥水のような薄いインスタントコーヒーを啜りながら、あたためてきた「したたかな戦略」を披露した。
代理店主は五年の積立契約で一回きりの代理店手数料より一年に一度の代理店手数料をあてにしているため、積立物の商品は敬遠するとの事前情報を直属の上司からアドバイスされていた。
そのため折衷案ともいうべき火災保険契約の建物は掛け捨ての一年計画とし、家財を五年間の積立一時払い商品とするプランニングをぶつけたのである。
家財の一時払い商品の代理店手数料は、一年更新型の五年分を若干上回るため、手数料の試算表も同時に開示した。
併せて先週末にパチンコで仕入れておいたハイライト五箱の手土産を渡すと、これが効いたのか、手数料も胸算用で悪くないとふんだのか、ずらした老眼鏡を頭に載せると「ほな、それでいきまひょか」と裕三の提案にどうにか賛同してくれた。
代理店主の竹内のおっちゃん(社内では親しみこめて「竹内のおっちゃん」が通称になっていた)をオンボロ社有車の後部座席のドアを恭しく開けて乗せると、契約者宅へ車を滑らせた。
事前に火災保険の料率計算で布団製造工場と聞いていたが、到着すると工場の体をなさない拍子抜けするほど心細いちっぽけなプレハブの作業場であった。
経営者と思しき人物は綿打ちだかの作業の手を緩めることなく奥にむかって「お~い! 保険屋」と短く吠えた。