次の転職先として、NASAのジョンソン宇宙センターにある月試料研究所とペンシルベニア大学から申し出があったが、教育に関心があったので後者にした。
[ペンシルベニア大学]フィラデルフィアにあるペンシルべニア大学の地学科で、教育と研究に携わる。科学研究費の申請も通り、実験器具もいろいろ購入できた。
ここまでは順調に自分の人生計画通りであった。しかし、大学で助教授として7年ほど教え、40歳になるときに人生航路を大きく変えることになった。そうなった理由は?
まず鉱物学というと、標本片手にという想像をなさるかもしれないが、私の関心はX線で決めた結晶構造を使ってエネルギー計算をしたり、結晶構造を理解するために可視化を図ったりと、コンピュータの利用が欠かせない。
研究結果を自分だけでなく他の人も対話的に検証できるコンピュータシステムを開発したいという方向に変わってきたためである。
ちょうどマイクロコンピュータが出てきた頃で、自分でシステムを組み立てることができるのも魅力だった。
[大学から企業へ]そこでチャンスがあったので、石油会社の中央研究所に転職した。ここではそれまでのマイクロコンピュータシステム開発の経験が役に立って、ボアホール(地面に垂直にボーリングで空けた穴)の外壁の超音波画像から地質構造がわかるように、インタラクティブな画像システムを開発した。
それには、中型コンピュータのPDP11や MicroVAXを使った。そのシステムをトラックに載せ、現場でボアホール内部のイメージを検証できるようにした。
この研究所で8年近く手応えのある時間を過ごした。その間、画像処理の講習会や線形計画法の大学の夜間コースに参加した。ともに、研究所は必要経費として支援してくれた。
[ベンチャー企業へ]しかし、石油産業の衰退という経済環境の変化もあり、50代に入ってからだが、石油産業の未来には見切りをつけた。そこでベンチャー企業への転職を実行。