まえがき
我が家の四世代のこと
老人の思い出話にも、これから人生を開拓していこうとする若者にとって、ヒントになることがきっとある。そう信じて、私はそれを本に書いておくことにした。
私は人生の活動期の36年ほどを米国で過ごした。その渡米期間を含む我が人生の80年余りのことは、2023年8月に出版した『米国への往復きっぷ 人生計画の展開』(幻冬舎ルネッサンス新書)に書いた。
今回は自分の人生だけではなく、さらに時間軸を広げて、祖父・父・私・長男の四世代にわたっての日米での人生についてお話しする。
祖父である大橋廓道(かくどう)は、大正時代のはじめ、35歳のときに渡米した。その後、太平洋戦争を挟んで亡くなるまでの40年ほど、一度も日本に帰国することなく米国で過ごした。
父・慶夫(よしお)は日本で生まれたが、幼児期に渡米、教育はすべて米国で受け、大学卒業後、日本に帰国。太平洋戦争で日本軍の兵士として30歳で戦死した。
私は日本で生まれ育ったが、26歳で米国に留学し、 62歳で引退して日本に帰国するまで、現職の活動期をすべて米国で過ごした。
長男・晶(あき)は、米国生まれ米国育ちであるが、ビジネススクール卒業後、数年日本で仕事をした後、米国に戻る。その後、いまも日本向けのビジネスに携わり頻繁に来日している。

図にまとめたように、四世代にわたって太平洋を行ったり来たりしている。したがって、4人とも日本語と英語で生活したが、強いて母国語というか、思考する際の優先言語は初等教育をどちらの国で受けたかによって決まるようで、祖父と私は日本語、父と息子は英語であった。一代ごとに変わっている。