21.帯に短し襷に長し

帯にするには短く、襷にするには長い。中途半端で役に立たないということ。2017年9月

前回に続いて、母の葬儀の折のエピソード。遺影の写真。それが必要になる日は近い、探しておいた方が良い、とはわかっていても、なかなか行動には移せなかった。その日を迎えたくないという思いもあった。

葬儀の準備の中で遺影の写真を選んだ。母が自分で遺影にする写真を何枚か置いていたような気がするが、どこにあるかわからない。

いろいろなアルバムをめくり、携帯で撮ったものを見直し、使えそうな写真を探した。

数人で写っているから顔が小さい、帽子をかぶっている、横向き、これは笑っているけど今一つの顔。なかなか良いのがない。最近の写真はあまりいい表情ではない。楽しい時、嬉しい時の写真がいいよな、と私たち子どもが両親にプレゼントした旅のアルバムを見たが、それは還暦のお祝いだったから若すぎ。

帯に短し襷に長し。

なかなか「これ!」というのがない。

妹が、この旅の写真もいいのがない、と言ったが、もう一度見てみた。

「この顔、いいんじゃない?!」というのが1枚あった。母の70歳のお祝いに娘息子3人がプレゼントしたウィーンへの旅。母が行きたがっていた街。かつてそこに短期留学した経験がある妹が一緒に行き、旅費は私たち皆で持った。ウィーンで撮ったその旅のワンシーン。ストーリーがある、嬉しいエピソードが語れる写真。

葬儀屋さんからは、顔が小さいからぼやけるかもしれない、もう少し大きい写真を見つけた方がいいと言われた。さらに探したが、やはりそれを超える良い写真はなかった。翌日、写真屋さんが取りに来られ、なんとかなるでしょうと言ってくださり、お預けした。

通夜の前、会場に入り、祭壇の母の顔を見て、「わぁ、いい!」と思った。前方の席で、業者の方の説明を聞いていると、入って来られた方々が口々に「いい写真ね」「そのままやね」と言ってくださっているのが聞こえ、「やったー!」と静かに歓声をあげていた。

無事に見送り数日経ったころ、大事なものを集めたファイルの中から数枚の写真が出てきた。母が遺影にと用意していたものだった。が、それは20年前に他界した父の時に大変だったからと、その数年後の写真であり、結果的には私が選んだ写真の方がより今の母に近く、笑顔もよかった。そして今は仏壇で、その優しい顔が見守ってくれている。

 

👉『愛しき日々を ことわざで綴る私の日常』連載記事一覧はこちら

【イチオシ記事】彼と一緒にお風呂に入って、そしていつもよりも早く寝室へ。それはそれは、いつもとはまた違う愛し方をしてくれて…

【注目記事】「おとーさん!!」救急室からストレッチャーで運び出される夫に叫ぶ息子たち。変わり果てた父親を目の前にして…