そんなある夜、突然強い腹痛を来しました。死にそうなほどの激痛でした。自分で「尿路結石だ!」と診断し、叫びながら救急車で運ばれました。十数年ぶりの血液検査で糖尿病(HbA1c7・4)、肝機能障害、脂質異常が判明しました。「ああ、これが原因だったのか!!」と初めて気づきました。
徹底した食事制限(カロリー制限)と運動療法により、5ヶ月で22kg減量し、60kg・BMI18・5・体脂肪率6%とし、肥満の入り口から痩せの入り口まで一気に経験しました。本当に必死でした。必死になると強いタイプです。
様々な症状(未病? 病気?)は全て完治し、フルマラソンも難なく走れるまで回復しました。「尿路の閉塞だけで、脳や心臓の血管が閉塞しなかっただけラッキーだった」と、今は神様に感謝しています。
いくら健康な人でも食事が疎かになり運動量が少なくなり「肥満」「糖尿病」になると、誰でも倒れるということを体感しました。自分が病気になるとは全く考えていませんでした。過信し過ぎていました。
「世の中の40歳以降の人は、一人前となり仕事量が増えて働き過ぎ、食べ過ぎて運動不足になり、太って糖尿病になると倒れる」
という、今では当たり前のことに気づいたのです。
そこで、独学で栄養学の勉強を始め、管理栄養士(2名〜3名)と2003年から「肥満外来」を「カロリー制限と運動」で開始しました。患者の治療と並行して、マラソンに加えマスターズ陸上の100m、200m、走幅跳に出場を開始しました。
しかし60kg・BMI18・5ではスピードが出ませんので、筋肉を鍛え、高校3年の時の65kg、体脂肪率8%としました。48歳時には45〜49歳の部で、100m:12・90、近畿大会五位、全国大会32名中16位、走幅跳5・40mで兵庫県大会で優勝しました。
HbA1cは5・5と改善しましたが、食後血糖値が160mg/dlと改善しません。日本糖尿病学会のいう通りカロリー制限をしていましたが一向に良くなりません。「米を食べることがいけないのかな?」と思い始めた頃、2005年、江部康二先生の『主食を抜けば糖尿病は良くなる』という本が出版されました。
「やっぱりそうだったのか。日本糖尿病学会はウソを言っている」
と感じ実行しました。
てきめんに食後血糖値は下がりました。その後、当院の肥満外来患者の中で、内科で糖尿病治療を受けている患者約20名に自己血糖測定器を無料で渡し、自己血糖を測ってもらいました。
すると、食後血糖値が全員200mg/dlを超えており全くコントロールできていないことが判明しました。日本糖尿病学会の炭水化物を当時50〜70%摂取しなさい(2024年からは40〜60%)という「ウソ・デタラメさ」が明白となったのです(確認)。
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