4 阿字ヶ浦
再び日立電鉄の鮎川駅に来た。国道を渡ると会社の保養施設がある。休止中でさびれたようにひっそりとしていて、不景気を反映しているようでどうにも侘しい。急崖のため海岸へ下る道が見つからないので車の交通量が多い国道沿いに歩いて、ようやく海岸に出られる広い坂道に行き着いた。
河原子海岸である。海風を感じ、波の音を聴いて、やっと海岸に出られたことに安堵した。海は今日も光り輝いている。
水木海岸を過ぎて、灯台のある古房地公園は急崖の上にある。波による侵食を防ぐために置かれたテトラポッドが岬を囲んでいる。このテトラポッドの内側は歩くことができる。大きな岩が敷きつめられているのでとても歩きにくい。
ぐるりと灯台を見上げるように岬を巡ると久慈浜海岸になる。波と遊んでいる子供たちを見守る親は、どの人も笑顔である。海は万人の気分を和らげる作用があるようだ。前回紹介した茨城県民御用達のMコーヒー缶が錆びて砂の上に捨てられていた。
しばらく港湾と工場の中をそぞろ歩いていくと魚釣りをする人がいる公園となる。
久慈川を越えて原子力の東海村に入る。河口からは火力発電所の煙突と原子力発電所の建物が見える。ここからは原子力施設が続いていて立ち入り禁止の場所が多くなり、海岸を歩くことはできない。
原子力研究所を過ぎて村松虚空蔵尊に立ち寄る。十三参りの男の子が親に連れられて来ている。青緑の(ろくしょう)屋根を持つ寺は静かである。
川幅の狭い新川沿いに海に向かう。鴨が川面に浮かんでいる。こちらを警戒しているようで、近づいていくとつっと逃げていくのであった。河口には工事中の柵がある。川べりを通って海岸に出られた。
そこには最近になって造成された公園があることを知った。植えたばかりの樹木が海辺の公園風景として調和するためにはもう少し時間がかかるだろう。
その昔は米軍の射爆場であったここ常陸海浜地区は、海を埋め立ててそこを広い道路が走り、今では工場群となっている。このあたりまで来るとさすがに疲れてきたこともあり、湾岸工場の道では感動を覚えない。
阿字ヶ浦でやっと波打ち際に出られた。夏なら海水浴客で賑わう。今の季節は人も少ない。海岸を離れて坂道を登り、本日の終点である茨城交通湊線の阿字ヶ浦駅から一車輛だけの客車に乗る頃には、下弦の月がまだ明るい空に浮かんでいた。
(2005年3月21日)
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