はじめに
茨城(常陸)には高い山はないけれど、山歩きを楽しめる低山は多い。また太平洋に面しているので海の幸に恵まれ、魚市場には遠く栃木や群馬からの来訪者もある。茨城は山ばかりではなく、海岸も面白かろうと思った。
そこで、北の福島県境の勿来(なこそ)から、南の千葉の銚子港まで海岸線を歩いてみることにした。一度で歩き通す時間的な余裕はないので、交通機関を利用して何度かに分けて歩くことにした。
海岸の風景ばかりではなく、人々の海辺の暮らしから何かしら感ずるものがあるのではないか。本書の第一章は「常陸の海岸を歩く」と題した、鉄道勿来駅から銚子漁港までの区間を歩いた記録である。
常陸の海岸をひたすら歩き通したら、これが思いのほか面白かったので、次に西に向かって茨城の県境を歩いて、常陸を一周してみることにした。茨城の県境は銚子からは利根川に沿っているが、古河で利根川を離れ、下館あたりから北東に進むと山の中となる。
第二章は「常陸の県境を歩く」として、銚子から海岸歩きの出発点である勿来に至る県境を歩いた記録である。
前半は川岸を歩き、後半は低山の尾根筋を歩くことになり、海岸歩きとは違った面白さもあるだろうと、事前に地形図を見て計画を練ったのであった。
それからは少しずつ何回にも分けて、長い時間をかけて歩いて、茨城県を一周することができた。大変な思いもあったが簡単に言うと、県北の平潟から出発して銚子まで海岸を歩いて、更に銚子からは利根川に沿った県境を遡り、後半は低山の県境尾根を行き、勿来を経て平潟まで歩いたのである。
この『常陸を歩く』は、2005年から2024年にかけて茨城県境をほぼ忠実にたどって一周した紀行文である。前日までに地図を見て計画して、当日は遅くても朝8時までには歩き始め、明るいうちに終着地点に到着することを原則にしたが、不覚にも日が暮れてしまったこともある。
一日の歩行時間は4時間から8時間。歩行距離は平地と山岳地帯で異なり、15kmから40kmと歩くコースに依存して変化した。
名所旧跡に出会うことは最初から期待していなかったが、それでも各地の隠された歴史を知り、そこに住む人々の生活に触れながら、海旅、川旅、山旅を楽しむことができた。
これまでに茨城県を歩いて一周するような酔狂な人はいなかったのではないか、そして茨城の良さをアピールできる一助になれば、と考えて本にすることにした。
ここに簡単な自己紹介をする。私は放射化学の研究者であり、長いこと実験室で試験管を振るような仕事をしてきた。 簡単にわかりやすく言うと、放射化学とはキュリー夫人が研究していたようなテーマを、最新科学機器を用いて発展させている研究分野のことである。
しかし2023年に完全退職して、現在は時々頼まれ仕事をするくらいなので毎日自由な時間を謳歌している。
もうすぐ終戦後十年が経とうという昭和の時代に水戸で生まれ、現在も水戸に在住する、いわゆる高齢者の範疇に入る旧人であるが、今でも山登りをして、フルマラソンを走り、自転車をこよなく愛するスポーツ愛好家であると自認している。
運動ばかりでなく、退職を機に水戸芸術館でクラシックやジャズの音楽を鑑賞しているが、館長であった小澤征爾氏が指揮するベートーヴェンの交響曲を聴くことができなかったのは今でも心残りである。
歩くことはまったく苦にならず、近いところならば自動車で行くよりも歩くほうが好きである。
閑話休題、可能なら2万5千分の1地形図を参照しながら、この『常陸を歩く』を読んでいただきたい。最近ではパソコンやスマホで国土地理院の地形図を見ることができる。
そうすれば面白味も倍増するのではないかと考える。