【前回記事を読む】1日の歩行時間は、4時間~8時間。茨城県境をほぼ忠実にたどって、ぐるりと一周の海の旅、川の旅、山の旅。

第一章 上陸の海岸を歩く

2005年に勿来から銚子までの区間を10日間で歩いた記録である。

1 勿来から磯原

新しい勿来駅舎から畑の中の細道を通って15分ほどで、穏やかな波が打ち寄せる早朝の勿来海岸の砂浜に出た。北のほうに火力発電所の煙突が見える。砂浜を南に向かって歩いていくと岬が海に突き出ているところで砂浜はなくなるので、海岸を歩くために一旦国道に出て再び海岸に出た。

そこは勿来漁港で、漁を終えたのか漁船が数多く停泊し、防波堤には魚釣りの人がいる。「何が釣れるの」と聞くと、一言「何にも釣れねえ」という迷惑そうな、つれない返事である。

再び国道に出てから向かった鵜ノ子岬にも漁港がある。こちらのほうが大きくて民宿やら飲食店などが軒を連ねる。できるだけ海岸を歩きたいのだが、平潟町の九ノ崎は断崖で海辺を歩ける道はない。途中に現れた細道を、えいやっと登って近道をしたら墓地に出てしまった。そこを下っていくらも行かないで断崖の上から海岸が見えた。

ここには太平洋戦争末期に、アメリカ本土を直接爆撃するために旧日本軍が開発したという、和紙を蒟蒻(こんにゃく)糊で貼り付けて作った風船爆弾を飛ばした攻撃基地があった。日本国内の三ヶ所の基地から約九千個の風船爆弾が放たれ、そのうちの三百個ほどがアメリカに到達して民間人が犠牲になったという記録が残っている。

ここには平和の碑が建っているのでこの事実を知ることができる。ここから望む穏やかな海を見ていると、そのような暗い歴史があったとはとても思えない。人間の愚行を知ってか知らずか、海はひねもすのたり〳〵とたゆたっている。

この高台から浜辺に下りてみたが、そこの砂浜もすぐに美術館が上のほうに建つ断崖が現れて行き止まりとなる。

五浦(いづら)海岸は、明治に日本近代美術の父である岡倉天心が日本美術院の本拠を移し、横山大観や下村観山らと作画活動を行った地である。茨城県天心記念五浦美術館への道は立派に舗装されていて、途中には日帰り温泉の「天心の湯」がある。