第一章 すべての始まりは突然の事故

失うのは生命か右足か究極の選択

まだ寒さが残る三月。午前二時。ピンポーン。

「こんな時間に誰?」

上着を羽織りながら玄関を開けた。そこに立っていたのは、背筋を伸ばした警察官だった。

「正典さんのご家族の方ですか」

「正典の母です。どうかしたんですか?」

「正典さんが、国道二号線でトラックとの事故に遭いまして……」

「え……、正典は無事ですか?」

「現在、病院に搬送中です」

動転した母は、兄と一緒に俺が運ばれた病院にかけつけた。

二十三歳、年度末の繁忙期、早朝五時起きで出社し仕事は深夜まで。未明に帰宅する日々が続いていた。この日も家路についたのは、深夜零時を回っていた。会社の軽自動車で帰宅途中にその事故は起こった。

いつもの帰り道を運転していると、急に強烈な光線が俺の瞼に飛び込んできた。その後の記憶はない。この日、俺が乗る軽自動車は、家路を急ぎ国道を走行していた。ゆるやかな左カーブを曲がるところで十トントラックと正面衝突事故を起こしたのだ。軽自動車は、自動車教習所で重大事故として紹介される写真のようにトラックの下に無残な姿で鉄くずのようになっていたという。その中からレスキュー隊員によって数時間かけて救出されたのだ。

事故があった国道は、四時間通行止めになり車のライトが長く連なっていた。意識不明、血圧低下、出血多量、両足骨折、顔面骨折、肺挫傷、くも膜下出血、左手骨折、脳挫傷などなど。総合病院に救急搬送された俺は、意識不明の重体だった。全身からの出血が止まらず出血多量。輸血量は八千ミリリットルにのぼった。

病院にかけつけた母が対面したのは、全身包帯に巻かれた俺の姿だった。医師から母にかけられた言葉は、

「二、三日が山でしょう」

母は、ただ祈る気持ちでいっぱいだったらしい。翌日もその翌日も輸血が続く。俺は、意識不明のまま三日が過ぎた。母は、毎日俺に話しかけた。話しかけ続けた。

「お願い、生きて……」