第一章 すべての始まりは突然の事故
義肢装具士との出会い
右足の手術に要した時間は、五時間。このときはまだ、俺は右足を切断した事実と直接向き合うことは少なかった。足の痛みがあったものの、まだ意識が朦朧としていたからだ。切断してないはずの右足が「痛い」と言い続けていた。
ないはずの右足を母はさすっていた。俺の右足をさすっているかのようにベッドをさすっていたのだ。俺が納得するまで……。
俺は、右足を切断した後に急に泣き出してしまうことがあった。気分が良いかと思ったら、落ち込んでしまったりとムラがあり、脳挫傷の影響が出ているのかもしれないと心配されていた。
粉砕骨折した左足は、治りが悪く、リハビリがはじまったのは、事故から二か月が過ぎてからだった。義足で歩くための筋力トレーニングがはじまり、前を向ける喜びをかみしめていた。いよいよ義足を作るため、義肢装具士が現れた。新人の石見さんだった。
彼は、九歳で骨のがんになり、太ももから足を切断していて左足が義足の義肢装具士だった。石見さんが俺に会ったのは、その日が初めてではなかった。意識不明でICUにいる頃から、俺のことを見ていたのだそうだ。そのとき医師から、「この人の義足を作ってほしい」と依頼をされていたという。
全身包帯でぐるぐる巻きで、意識不明の重体のこの人は、本当に助かるんだろうかと思いながら見ていたと後から聞いた。初めて義足を装着して、歩く訓練がはじまった。
「これは、怖い……」
不安定な義足が……信用できず、義足にちゃんと体重をかけられない。俺はこのとき初めて、人間の膝のすごさを知った。義足の膝は歩行の複雑な動きを可能にする人間の膝と同じようには曲げられず、ただただ悩んだ。病院の手すりを持ち、毎日一歩ずつ歩行訓練を行った。
少しずつ義足にも慣れ、朝から晩まで病棟のフロア中を歩き回ることができるほどに回復した。事故から四か月、暑い夏の日に俺は退院した。