同情の目で見られるということ

真夏のジリジリとした暑さと、蝉の鳴く声で目が覚めた。退院してから1週間が経った。病院の中は温度が一定であったため、退院後の暑さは体に堪えた。いつもなら、蝉やクワガタを捕ったり、水を張った田んぼに入り、オタマジャクシを捕まえたりしていたので、夏の僕は真っ黒に日焼けしていた。

しかし、退院してから安静が大事だと言われていたので、家にいることが多く外に出ることはなかった。プールも好きだったが、行けなかった。退院したのが夏休みでもあり、学校から夏の宿題が山のように送られてきたので、午前中毎日机に向かっていた。

でも、今まで真面目に勉強してこなかったことに加え、入院中はほとんど勉強しなかったため、わからない部分が多かった。いつも兄に教えてもらいながら、2学期が始まる数日前に宿題を終えることができた。

2学期が始まる9月から学校に戻った。久しぶりの学校は、懐かしさよりも緊張の方が大きかった。久しぶりに会う友人たちは真っ黒く日焼けをしており、色白な自分の姿が恥ずかしさを倍増させていた。

「たなやん、久しぶり。元気やったか。手紙読んでくれた?」

とクラス中のみんなから質問攻めにあった。うれしいやら恥ずかしいやらで、何をどう答えたのか覚えていない。

退院後の学校生活は、入院前とは一変した。

まず、学校は給食であったが食事制限があったため、母が毎日お弁当を持たせてくれた。

また当時、腎不全患者は運動を控えるべしという考え方が主流であり、体育の時間は見学することになった。そのため、みんなが運動をしている時は、いつも先生の横に座っていた。

また、何種類もの内服薬も始まった。僕は、「透析しないために頑張るんだ、母の涙はもう見たくない」という思いから頑張ろうと思った。それに、同じ小学校に通っている兄も毎日お弁当を食べたり、体育も見学していたので自分一人じゃないから頑張ろうと思うことができた。

ただ、そんな僕の思いが打ち砕かれることになった。それは、僕の思い過ごしかもしれないが、入院前と入院後で友人との間で距離感を感じるようになったことだ。みんなが僕に対して、何か腫れ物に触るような感じで接していたように感じた。