昼頃、照史が作業を終え戻ってきた。そして放心状態な私の顔を心配そうに覗き込んだ。牧師先生の教えを聞いて、すごく良かったという事を真っ先に伝えると、無理していないか心配していた。照史は不安そうな表情をしていたが、私はすごく心が沸き立つものがあったと喜びを語った。
照史は理解できなければとジャッジする必要ない、ただ心で感じれば十分だと話した。意味付けしなくていい、それは何かするのに、いちいち理由を探さなくても良いことだと、後になってわかった。心感じるままに動くことの大切さだ。
私達は教会堂の長椅子に座った。そこにはとても崇高な空気感が漂い、憑き物が取れて、鋼の鎧が剥がれていく様な気がしてきた。ステンドグラスに光が差し込み、キラキラと輝いている。高い天井を見上げて、思い切り深く息を吸いこむ。
照史はこの空間はすごく軽やかで心地いい、何も心配がいらずただ委ねていい、自分の呼吸さえ忘れてしまう感覚だと言うが、何を言っているのか、少しもわからない。ただ彫刻のような横顔と、真っ直ぐで透き通った瞳に見惚れた。私がその深部に映し出された光の意味を知るのはまだ先の事だった。
それから教会を後にして、一旦外に出ると、いつもと同じ雑踏が、先ほどの空間とあまりにも違って見えた。照史は改めて退屈しなかったかと心配して聞いた。私は心で感じることを、随分疎かにしてきたなと思って、今までは目や耳が優勢であった事を話すと、五感をフル回転させていたねと笑っていた。感じた事を重要に思ってなかった。
照史が自分の気持ちより、他人の意見とか、常識に従う人達が多いからと、真っ直ぐな瞳で話し聞き入った。