【前回の記事を読む】台風一過で蒸し暑い残暑の朝。レースのワンピースがよく似合っていると伯母が褒めて、私の頭を優しく撫でた

第一部

二 神を知る

私は、その姿をただじっと見つめ、彼らは幸せなのだろうか?と思った。彼らは事情を抱えながら、それぞれ懸命に生きている。人を傷つけた者はおらず、コミュニケーションが難しかったりする人が多いと話した。自身も若い頃にあってはならない過ちをし、未だに自責の念に苦しんでいると話している。

「人はなぜ過ちを犯すのでしょうか?」と疑問をぶつけると、寺田は私を優しく見つめあくまで自分の意見だと前置きしてから、過ちとは誰が決めるのか、法律か? 世の中か? 神か?と問うた。私には正直わからないが、ただ闇雲に正義を振りかざすのだけは、好きではないと伝えた。

寺田は、もし悪事を行うのならその時は、その人間のエゴがさせている、恐れや怒りは、神の真意とは真逆、私たちは神の子、故に守られ安全だと話した。私はわからないと逃げずにエゴとは何か聞いた。それは、脳から発せられる、誰しもが己だと思っている声の事だと。それなら私は良い自分も悪い自分もあるのだと思う。

寺田は、本当の私たち人間は魂なので、エゴなどではない。エゴなどは存在していないと思っていると言った。私は何がなんだかわからないが、心はそれを受け止めなぜか喜んでいるのがわかった。教えは心地が良い。

寺田の願いは、全ての人が平等に救われる事だという。善人が救われるなら、悪人は尚のこと救われなければならない、という好きな言葉があり、この世の常識とは真逆なので、一度聞いたら、その深意を極めたくなると言っている。私は勉強不足なのでわからないが、よく熟慮したいと言うと、そんな風に、否定しなくていいと優しく言った。

寺田は忙しく、子供たちに手を引かれ、行ってしまった。私はもう少し、教えを請いたいと思ったが仕方ない。初めて知る世界観に圧倒されたのは事実。福祉や慈善活動など気に留めてこなかった自分だが、照史の考え方や、寺田の教えに触れ全てが新鮮。もっと知りたいと貪欲に願った。