【前回記事を読む】文献探索から国際的技法の翻訳・開発まで! MIT日本語版(MIT-J)誕生秘話とWAB標準化への挑戦

第一部 社会に飛び出せ ―数奇な私の人生―

Ⅰ.突き進む「言語」の道

一人前のSTを目指した養成校での修行の日々

この時期に、私の札幌時代を彩る長男の妊娠・出産・育児という人生最良のイベントを経験し、さらに「北海道失語症友の会」の立ち上げにも微力ながら関わらせていただきました。

超多忙で毎夜帰りの遅い夫を待ち、夕食の支度を始める夕方になると決まって泣く息子を背負い、その夜泣きに手を焼き、ようやく息子が寝てくれた夜中にも寝不足と闘いながらS先生の在米時共同研究者の名著(1)翻訳の仕事に取り組む毎日でしたが、幸せな日々でした。

さらに、学術活動も細々ながら続けて、臨床家としても研究者としても、妻として母として人間としても成長できた時期でした。

私が息子を育てた時代には、現在のようなワーキングマザーに対する公的な育児休暇制度もなく、支援する立場の親は遠方在住という状況で、私は勤務先の病院が看護師さん用に作った院内保育所に生後すぐから3年ほど息子を預けることができ、院長先生のご好意で授乳時間もいただけて大変お世話になりました。心から感謝します。

また、休みを活用して道内観光地を陸地の輪郭を描けるほどドライブして回り、期間終盤には道内に点在する秘湯巡りも堪能しました。私たちは道内在住の友人知人から「北海道の観光地を知りたいなら関家に聞け」と言われたほど、短期間のうちに全道の観光事情に大変詳しくなりました。

さすがに、厳寒の札幌市内を移動する親子自転車通勤は元気な母子には堪え、私は息子にうつされた風邪から肺炎を併発し、入院したことがありました。