【前回記事を読む】帰りの遅い夫、ご飯の支度、息子の夜泣き…。家事を終え、寝不足と闘いながら仕事に取り組む毎日だったが…I先生は大御所S先生よりかなり年下で、年齢的にこれから研究者・教育者として頂点に向かう時期でもありました。事実、その後、日本にはまだ少数だった大学医学部におけるリハビリテーション講座教授として地方の医大に栄転されただけでなく、今では若い臨床家・研究者の「バイブル」とも評されるテキ…
[連載]脳卒中が拓いた私の人生
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エッセイ『脳卒中が拓いた私の人生』【第6回】関 啓子
「失語症の方々のために貢献したい」——教授になっても研究を続け、「よりよいコミュニケーション」実現のために活動し続けた
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エッセイ『脳卒中が拓いた私の人生』【第5回】関 啓子
帰りの遅い夫、ご飯の支度、息子の夜泣き…。家事を終え、寝不足と闘いながら仕事に取り組む毎日だったが…
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エッセイ『脳卒中が拓いた私の人生』【第4回】関 啓子
文献探索から国際的技法の翻訳・開発まで! MIT日本語版(MIT-J)誕生秘話とWAB標準化への挑戦
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エッセイ『脳卒中が拓いた私の人生』【第3回】関 啓子
限界年齢ギリギリの挑戦! ぶっつけ本番でST養成校に合格し、神経研での研究人生へと進んだ奇跡の記録
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エッセイ『脳卒中が拓いた私の人生』【第2回】関 啓子
大卒女子学生の就職氷河期。私は「お茶汲み」「受付嬢」ではなく「総合職」レベルの待遇を保証してくれた某銀行の行員になったが…
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エッセイ『脳卒中が拓いた私の人生』【新連載】関 啓子
失語症患者を支援してきた言語聴覚士。自身も失語症を患い、当事者になった――。単身赴任先で脳卒中に襲われ…