【前回の記事を読む】2021年度のノーベル医学生理学賞は「温感と触覚の受容体」を発見したデヴィッド・ジュリアスとアーデム・パタプティアン
第1章 痛みのしくみ
研究史 〜むかし痛みは情動だった〜
炎症〜火事ではない〜
実際に組織損傷が生じると「炎症」が起こります。損傷部位には、損傷された体組織細胞、そこに動員された白血球、さらには侵害受容器それ自体(!)からも「炎症性サイトカイン」「神経ペプチド」などさまざまな「炎症物質」「炎症メディエーター(炎症介在物質)」と呼ばれる化学物質1が放出されます〔図1〕。
侵害刺激と炎症メディエーターをポリモーダル受容器がとらえ、つくり出した電気信号が脳に伝えられ、知覚されたものが「炎症性疼痛」です。
炎症メディエーターは腫れ、発赤、局所熱感2、そして痛みという「炎症4徴候」をつくり出します。
炎症4徴候はいずれも不快なので、私たちは炎症それ自体が病気だと考えてしまい、われわれ医者も患者さんについ「炎症を抑える薬を出しておきます」と言ってしまいます。しかし、炎症は損傷組織に対する修復反応であり、体の生理反応です(3)。
炎症メディエーターは侵害物質ではなく、炎症をコントロールし組織修復を開始・実行し、さらには収束させるための化学物質なのです(4)。このことは「炎症と痛みの関係」を理解するためにとても重要なことなので、よく覚えておいて下さい。
炎症時にはポリモーダル受容器自体がもつ「感作(かんさ)」作用3により信号強度が強められます。感作は脊髄や脳でも生じるので、それと区別して炎症組織のポリモーダル受容器が起こす感作を「末梢性(まっしょうせい)感作」といいます〔図1〕。
末梢性感作は侵害受容器という《異常警報センサー》に付属している《自動増幅機能》のようなものです4。末梢性感作は起炎物質により起こります。医者がしばしば処方する鎮痛薬の一種〝非ステロイド性抗炎症薬〟は炎症物質のひとつであるプロスタグランジンの生成を阻害して末梢性感作を阻害する薬物です。
ですから、厳密には「抗炎症薬」ではなく「抗感作薬」と呼んだ方が適切です5。「組織が損傷された状態」では警報音が発生し、感作の作用により強められます。どうして私たちは体が損傷されると痛みという「不快な体験」をしなければならないのでしょうか?
その理由は「痛みには生物としての〝適応的な意義〟があるから」と思われます。適応的とは生物学・進化学の用語で、「痛みを感じることにより損傷に気づく、活動性が低下して損傷部位が保護される、結果として組織修復が促進され生存に有利に働く」ということです。
痛みを感じなければ、私たちは損傷した組織をそのまま使い続けてしまいます。その結果、修復は遅れ、最悪の場合は修復が終わらず、組織はますます破壊されてしまいます。炎症性疼痛のおかげで損傷に気づき、損傷組織を「いたわる」行動をとることができるわけです。